博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:中国朝鮮族の形成に関する歴史的研究-中華人民共和国建国期を中心に(1945年8月~1955年末)-
著者:李 海燕 (LI, Hai Yan)
博士号取得年月日:2007年7月30日

→審査要旨へ

1、 本論文の課題

本論文では、第二次世界大戦後に中華人民共和国が成立し、朝鮮戦争を経て、中国政府の少数民族政策の中心である「民族区域自治」政策が、朝鮮族の集住している延辺で実行されるまでの期間を対象に、中国居住朝鮮人が「満洲国」臣民から、中華人民共和国の一少数民族である中国朝鮮族となっていく過程を実証的に解明する。
この研究課題は中華人民共和国史、中国の少数民族政策、戦後における満洲の引揚げ問題、在日朝鮮人問題の研究などの東北アジア研究へと広がりを持つ。しかし、研究課題の重要性にかかわらず、これまでに研究内容と史料の制約があったため、本格的な研究は行われなかった。したがって、本論文では、「満洲国」崩壊直後における中国居住朝鮮人内部の動向、朝鮮への引揚げ問題、中国国籍が確定する政治過程、国民政府の朝鮮人政策、朝鮮戦争と朝鮮族社会の関係などの研究が進んでいない個別の研究課題の解明から着手した。

2、 方法論

本論文の研究時期である1945年秋から1955年末までにおいて、東北地区では「満洲国」崩壊後の権力の空白状態から、内戦が広げられ、中華人民共和国が建国してからまもなく朝鮮戦争が勃発した。こうした混乱と戦争が続いた時期に中国共産党は朝鮮半島にルーツを持ち、朝鮮民族としてのアイデンティティーを有する中国居住朝鮮人を、政治的手法により中国朝鮮族という中国国内の1つの少数民族に統合した。本論文の研究課題である中国朝鮮族の形成過程を解明するにはまず政治史的アプローチが必要であろう。本論文では主に2つの流れを考察したが、1つは国共内戦で勝利して以来、中国唯一の執権党である中国共産党の東北地区居住朝鮮人に対する政策である。中国共産党の政策のなかでも、とくに土地・国籍・自治問題に焦点を合わせて、議論を展開した。同時代に決着がつけられ、今日まで基本的に変わらない土地・国籍・自治は朝鮮族の中国での位相を示す根本的な指標だといえるだろう。当然ながら、中国共産党の朝鮮族政策を考察する際に、朝鮮族の朝鮮民族としての母国である朝鮮半島の情勢、とくに中国と同様に共産圏である北朝鮮との関係のなかで考察する視角が必要である。
もう1つの流れは、中国居住朝鮮人内部の動きである。先行研究では中国居住朝鮮人の内部の動きについて言及することが少なかった。中国居住朝鮮人内部の動きを考察することは、中国共産党の政策に対する研究を行う上にも重要である。本論文では朝鮮族の内部の動きを、主に「満洲国」崩壊後に東北地区居住朝鮮人が置かれた社会環境と朝鮮への引揚げ問題、東北地区居住朝鮮人政治団体と部隊の問題、中国共産党側の朝鮮人幹部の問題、北朝鮮の建国と朝鮮戦争の勃発に対する朝鮮族社会の反応などを通して考察した。

3、 本論文の構成と各章の概要

本論文の構成は時期順に沿って、ソ連軍占領期(1945年秋―1946年春)、 国共内戦期Ⅰ(1946年夏―1947年春)、国共内戦期Ⅱ(1947年夏―1949年夏)、 中華人民共和国建国初期(1949年秋―1955年末)など4つの部分からなっている。この時期区分は、本論文の研究時期において、国共内戦、朝鮮戦争と戦争が続いたため、戦局が中国共産党の政策に重大な影響を及ぼしていることを重視したものである。
まず、第1章では「満洲国」崩壊後、ソ連軍が東北地区に進駐した1945年秋から1946年春までの戦後混乱期を扱った。当時200万人と言われた中国居住朝鮮人は東北・華北地区各地で植民地統治からの解放と同時に大混乱の状況下に置かれることとなった。そのなかで、朝鮮半島への引揚げが大規模に行われたが、この引揚げの経路と人数、社会背景を調べる必要がある。そして、当時は無政府状態であったため、各地に朝鮮人有力者(「満洲国」時代の官僚、朝鮮人元共産主義者、元大韓民国臨時政府関係者など)による、さまざまな性質の政治団体が成立するが、各地における主要な朝鮮人政治勢力を分析した。また、戦前華北地区で抗日活動を行っていた朝鮮人革命家たちが東北地区にやってきて、東北地区居住朝鮮人を吸収して部隊を成立させるが、その部隊の実態を考察した。最後に、中国共産党が如何にして東北地区居住朝鮮人の集住地域である延辺で政権を成立し、当時民族対立状態にあった中国人と朝鮮人に実施した政策、東北地区居住朝鮮人政治団体と部隊への処置などを論じた。
次に、第2章は1946年夏から1947年春までの国共内戦期前半に対する分析である。内戦が始まったこの時期において、中国共産党はライバルの国民党に比べ、軍事的に劣勢に置かれていた。東北地区は国民党占領区と中国共産党占領区に分かれ、両党はそれぞれの占領区で独自の政策を施した。まず、中国共産党は自分たちの占領区で「反奸闘争」と土地分配を始めるが、延辺では「満洲国」時代に朝鮮人が耕作していた自作農用地の処分をめぐる民族対立が発生した。本章の前半部分では、中国共産党が延辺で実施した土地改革の実態を考察した。そして、同時期に優勢だった国民政府の朝鮮人政策を分析した。「満洲国」崩壊直後、国民党は接収のため、華北地区と東北地区へ軍隊を進駐させた。華北地区と東北地区ではそれぞれに進駐した国民政府軍によって、朝鮮人に対し異なる政策が実施された。本章の後半部分では、国民政府の朝鮮人政策の形成、転換とその背景にある国民政府と南朝鮮の関係、国民政府の朝鮮人支配構造、国民党占領区における朝鮮人の生活実態、送還計画について論述した。
続いて、第3章では1947年夏から1949年夏までの時期を考察したが、この時期において国共内戦の戦局は中国共産党に有利な状況となった。それによって、中国共産党の東北地区居住朝鮮人政策も大きい転換を迎えることになる。この章ではまず、延辺における政治構図の変化を考察し、それから東北地区居住朝鮮人の国籍が決定されるまでの過程を分析した。そして、東北地区居住朝鮮人の中国国籍が確定され、中国の少数民族となると、民族区域自治政策が延辺で成立するが、その過程を具体的には、国共内戦期における中国共産党の方針の変化、民族自治区域の内実、自治区域の領域と行政レベルの問題などについて論じた。
最後の章では中華人民共和国の建国初期である1949年秋から1955年末までの時期を考察した。この時期を通して、中国では朝鮮族の中国への「愛国主義」教育が行われはじめ、朝鮮族には中国公民としての忠誠心が求められるようになった。中国居住朝鮮人は、国共内戦期を通して、土地を分配され、中国公民に決定されても、朝鮮民族としての母国である朝鮮(朝鮮には2つの国家が成立したが、イデオロギーの関係で一部の南朝鮮の出身者はそれを表に出せる状況ではなかった)に対する感情は深かった。朝鮮族大衆にとって、国籍が変わること自体は、日常生活においてそれほど意識されなかった。しかし、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発するやいなや、朝鮮族の中では「祖国」朝鮮防衛のために、入隊志願の気運が高揚し、たくさんの朝鮮族が朝鮮の戦場へ向かった。中国共産党はこの動向について、最初は入隊動員のため、黙認していた。しかし、戦局が落ち着いた1951年春から中共延辺地委は朝鮮族の「祖国観」を問題視し、抗米援朝キャンペーンなどを通じ、新中国に対する「愛国主義」教育を始めた。この章では当時朝鮮族の内部の動きと中国共産党のそれに対する対応の変化、および朝鮮戦争が朝鮮族に及ぼした影響などを論じた。
一方、中華人民共和国建国初期の少数民族政策をみると、人民解放軍のチベット進駐を機に、1952年8月に民族区域自治政策を制度化した「民族区域自治実施綱要」が発布された。朝鮮戦争の途中である1952年9月に延辺朝鮮民族自治区が成立したが、それは建国後に成立された自治州以上のレベルの自治区域のなかでは、非常に早い時期の成立であった。また、中国は建国初期において、精力的に「民族識別」工作を行い、1953年までに27個のエスニック・グループに新たに「民族」としてのステータスを与えた。朝鮮族は建国当時9つの少数民族のなかの1つという立場であったが、その存在感と影響力が薄まる一方であった。そのなかで、自治領域の調整が行われたが、朝鮮族のリーダーが提出した提案はすぐには返事を得られなかった。行政ランクにおいても、市レベルに相当する自治州に決定され、それによって、1955年12月に公式名称が延辺朝鮮民族自治区から延辺朝鮮族自治州と変更され、今日に至っている。

4、結論―主な論点

本論文の研究課題は、上述したように、中国居住朝鮮人が「満洲国」臣民から、中華人民共和国の一少数民族である中国朝鮮族を形成する過程を実証的に解明することである。本論文での考察を通じて、つぎのような3つの論点を提起することができよう。まず、本論文の研究課題である中国朝鮮族の形成にとって、中国共産党が東北地区居住朝鮮人に国籍を付与したことがもっとも重要であるということである。その理由としては、内戦初期における中国共産党の軍事的な面における危機的な状況と、そのなかで朝鮮族の占める位置である。2点目は、中華人民共和国建国期における中国共産党の朝鮮族政策を考察すると、それは朝鮮族への配慮が多い宥和政策から、徐々に引締めに変化しているということである。中国共産党は戦後直後の東北地区居住朝鮮人の政治勢力、部隊の統合から始まり、漸次朝鮮族大衆に、さらに愛国心を要求するにいたった。1947年1月、中国共産党軍は東北地区において、初めて大規模な攻勢に出て、夏には攻勢に転じた。この時期から中国共産党は徐々に東北地区居住朝鮮人政策を転換するが、それは、1947年延辺の朝鮮族中堅幹部層に対する粛清から始まった。3点目は、東北地区居住朝鮮人は、有力者の地位の低下や、部隊を失うことによって、政治力量が漸次なくなっていった。内戦初期から、朝鮮人政治エリートたちは足場を失って、中国共産党は東北地区居住朝鮮人部隊を実質的に掌握した。さらに、朝鮮戦争勃発直前に朝鮮族の部隊は中国から北朝鮮に引渡された。それは朝鮮族の中国における政治的位相の低下につながった。

このページの一番上へ