博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:イギリスNHSにおける保健と医療の関係―1960年代までのバーミンガム市の事例をもとに―
著者:白瀬 由美香 (SHIRASE, Yumika)
博士号取得年月日:2006年3月28日

→審査要旨へ

 イギリスで1948年に発足したNational Health Service(NHS)は、租税を財源として、無料で保健医療サービスをすべての国民に提供する制度である。この医療保障制度の成立を財政面から決定付けたのは、1942年の『ベヴァリッジ報告』であり、ベヴァリッジは社会保障の重要な関連制度として、全国民に対して拠出条件なしで給付を行う、包括的な保健サービスの創設を提言した。それを受けて形成されたNHSは、一次医療の徹底、病院の国有化と同時に、母子保健や在宅看護などの地域保健サービスを同じ制度内に位置づけ、あらゆる保健医療サービスを無料で提供することになった。
 医療保障制度には、社会保険方式と保健サービス方式の2つの方式があるが、一般にNHSのような保健サービス方式は、中央政府による医療費の管理が容易であり、コスト節約の効果のあることが利点となる反面、サービスの過小供給に陥る傾向のあることが知られている。だが、NHSは医療費の抑制を目的にして創設された制度ではない。保健医療に関連する多様なサービスを同じ一つの制度に構成することによって、疾病の治療だけでなく、予防および健康の維持増進やリハビリテーションの提供を志向していたところに、むしろ医療保障制度としての重要性がある。
 NHSの発足に関しては、これまでにも内外で多くの研究が行われ、財政面や病院の国有化などには大きな関心が寄せられてきた。他方、サービス提供体制における機能的な連携のあり方については、ほとんど検討が加えられていないのが現状であった。本論文では、予防・治療・リハビリテーションまでのあらゆる保健医療サービスを包括的に制度に取り込んだことが、NHSの最大の特色であると考え、サービス供給面における連携に焦点を当てた考察を行った。そして、NHSがどのような意図に基づいて構想され、それを実現するために、1960年代末までにどのような取り組みがなされたのかを検討していく上で、「保健(health)」と「医療(medicine)」との関係に注目した。
 NHSの供給面で特筆すべきは、地方自治体が提供する地域保健サービスの存在である。地域保健サービスでは、地方自治体の公衆衛生部がNHSの「地域保健当局(Local Health Authority)」となり、伝統的な公衆衛生事業を背景とした疾病予防活動や在宅ケアサービスを提供する。こうした公衆衛生の施策は、イギリス以外の多くの国では、医療保障制度の枠組みの外に置かれるのが一般的である。なぜなら医療保障は、基本的に各々の患者に対して、個別的に治療の便宜を図るという性格を持っていることから、集団的な疾病予防というものとは相容れない。つまり、租税を財源として、公的部門が直接に給付を行うNHSのような保健サービス方式でなければ、公衆衛生に基づく広範なサービスを医療保障制度に内在させることが難しいのである。
 そのことからNHSは、疾病予防のための「保健」と、治療のための「医療」を結びつけた医療保障制度であると見ることができる。「保健」とは、公衆衛生で培われた疫学的見地に基づいて、疾病予防および健康増進をする事前的な活動のことである。それに対して、「医療」とは、疾病に対して事後的に行われる治療を主とした活動を指している。NHSでは、地方自治体の提供する保健と医療機関による治療を結び付ることによって、疾病予防からリハビリテーションまでの切れ目のないケア提供を行ったのであった。
 本論文は、このような問題意識に基づいて、NHSにおける保健と医療の関係を考察した。研究に当たっては、NHSの構想から1960年代末までの間に、制度内部において、保健と医療はどのように位置づけられてきたのかを探るべく、政府発行の報告書や保健省等の内部資料を拠り所に、政策主体とその意図に着目して議論を展開した。また、地方自治体による地域保健サービスの実態を探ることが必要となるため、バーミンガム市の地域保健報告書を頼りに、そこで行われていた活動の分析を行った。
 バーミンガム市は人口100万人を有する、イギリス中部の工業都市である。近隣の諸他地域に比べて豊かな財政基盤を背景に、1950~60年代には地域保健サービスへの積極的な取り組みが見られた。したがって、NHSにおける保健と医療の地域的な連携について検討する上で、事例とするにふさわしい都市であるといえる。内外のNHS研究においては、ロンドンあるいはその近郊に関する論考が大半を占めることからも、本論文が地方都市のサービス実態を扱う意義は大きい。
 以上のような方法によって、1960年代までの地域におけるサービス間および専門職間の連携の様相を明らかにし、それがNHS設立の意図に沿う保健と医療の連携だったのかを検証した。 
 第一章では、保健サービス方式という当時としては画期的な医療保障制度が、いかなる経緯で成立するに至ったのかを追った。医療保障とは、アクセス機会の均等化と最適サービスの提供とを理念とするが、イギリスではこれらの課題にどのような方法で応えようとしたのか、NHS構想の形成過程を考察した。まず第1節では、第二次世界大戦前の保健医療サービスの状況と問題点を検討した。NHSの発足以前には、1911年に成立した国民健康保険制度(National Health Insurance)のほかに、地方自治体やボランタリー団体が保健医療サービスを提供していたが、一般の人々にとって、利用アクセスは非常に限られていた。続く第2節では、国民健康保険制度の改革論議の展開を概観し、医療保障制度の包括性が求められていたことを指摘した。その上で、ベヴァリッジ委員会でNHSに関する提言がまとめられる過程と報告書の内容を考察した。そして、『ベヴァリッジ報告』を受けて行われた、『NHS白書』の発表およびNHS法の成立を通じて、どのような制度概要が形作られたのかを示した。第3節では、NHS成立に至る過程で重視された、包括性と普遍性という戦後医療保障の理念を検証した。また、NHSが無料のサービスであることと、これら理念との関連性を論じた。
 第二章では、NHSを疾病予防システムと捉えて、発足当初の制度枠組みの考察をした。第1節では、病院・一般医・地域保健という3つのサービス部門が保健省の下に結び付けられたことなど、成立したNHSの組織を解説した。そして、サービス提供体制上の2つの特色として、一次医療の担い手である一般医(General Practitioner; GP)と二次・三次医療機関である病院という、医療機関の機能分化を実現したこと、地域保健サービスを医療保障制度に一体化したことを挙げた。第2節では、NHSに内在する疾病予防システムとして、第一に、地方自治体に課された疾病予防・ケア・アフターケアの提供に関する規定を取り上げた。この規定の下では、健康教育や高齢者に対する保健事業などが行われていた。第二に、一般医の診療報酬制度には人頭払い方式が採用されていたため、医師の側に疾病予防のインセンティブを与えていたことを指摘した。第3節では、3つのサービス部門が分立しているというNHSの制度枠組み上の問題を解決するため、部門間の連携にいかに取り組んだのかを考察した。医療機関の機能分化は、一般医から病院への紹介を制度上位置づけていたが、地域保健サービスを提供する地方自治体と、一般医や病院との連携の仕方は明示されていなかった。バーミンガム市では、行政担当者の知己を利用してサービス間の事務連絡の円滑化が図られていたが、それらは予防のための事前的な取り組みとは言い難かった。
 第三章では、バーミンガム市の保健師(Health Visitor)と地区看護師(District Nurse)を中心に、サービス提供現場における専門職の連携を通じて、NHSの保健と医療はどのような関係にあったのかを論じた。第1節では、母子保健に関する訪問指導をしていた保健師が、NHS開始によって、高齢者を中心に幅広い対象に向けた保健衛生指導の担い手となったことを示した。また、他の専門職との連携では、市の施策として、病院や診療所へ保健師の配置が行われていた。これは、医師と保健師との連携の進展には寄与したが、広く一般に向けた疾病予防活動をするという、保健師の職務の公衆衛生的な側面を弱めることになった。さらに、養成システムの変遷を見ると、ソーシャルワーカーとの対比で、保健師が医学的な専門職として、明確に位置づけられたことがわかった。次に第2節では、在宅看護の担い手であった地区看護師を取り上げ、在宅看護サービスの規模や利用者の構成などの実態を明らかにした。そして、母子福祉センターを拠点として、地区看護師が様々な専門職と協力し合っていたことを示した。また、医師との連携を深めるために、一般医の診療所への配置も行われたのであるが、それは地区看護師を治療にまつわる補助業務に従事させるものであった。こうして、かつての地区看護師のような包括的な家族ケアは減少し、在宅看護は医学的な処置の必要な者にだけ選別的になされるようになった。それらの事実を踏まえて第3節では、プライマリ・ケアにおける連携の要となる、一般医の役割について考察した。NHSの発足時に一般医が連携に消極的であったのは、医師の階層性の存在と専門職としての独立性を重んじるためであった。だが、1960年代半ばには家庭医としての役割が確立され、他の専門職との連携が進展した。第4節では、専門職の専門分化は業務の細分化を意味し、連携の必要性が生じることを論じた。連携によって確かにチーム医療は行われるが、それはあくまでも治療を目的としたものであり、NHSの意図した包括的な保健ではないことを指摘した。
 第四章では、1950年代から1960年代にかけての政策によって、NHSにおける保健と医療の関係はどのように変容したのかを検証した。第1節では、地域を基盤としたケア提供の拠点をつくる、保健センター政策に注目した。戦間期には先駆的な構想や実践が行われ、その役割が期待されていた保健センターであったが、結局は一般医の反対によって、NHSでは実験的な施設とされてしまった。バーミンガム市においても同様で、1950年代初頭の保健センター建設計画は頓挫していたことが明らかになった。第2節では、1950年代に始まったコミュニティ・ケア推進の背景を指摘し、1959年に精神保健法が成立する以前から地方自治体レベルでは、コミュニティにおけるケアの様々な取り組みが行われていたことを示した。第3節では、1960年代の病院計画や保健福祉計画において、バーミンガム市ではどのような計画が策定されたのかを検討した。これらの計画は、病床の効率的利用を目的として、患者の早期退院を促し、地域で継続的なケアを行うための施設整備を目指していた。ここから、母子・高齢者・障害者に対する「コミュニティ・ケア」という概念が形成されたが、その実効性には疑いの目が向けられていた。さらに1968年の『シーボーム報告』は、精神保健やホームヘルプ、保育などのサービスをNHSから分離し、対人社会サービス(Personal Social Services)へと移管するものであった。こうした一連の政策を受けて、1960年代末にはNHSが担うべきサービスの内容が、包括的な予防活動から、治療を重視したものへと変化していった。
 以上をもとに終章では、NHSの構想時から1960年代末までの保健と医療の連携の展開を総括し、医療保障論の観点からNHSの特性を考察した。そして、NHS発足の意図と現実との相違について議論した。
 疾病予防システムを内在したNHSは、予防を志向した地域型の医療保障制度であるといえる。これは、サービスの包括性と普遍性という、2つの理念が意味するところからも窺い知れ、NHSを「医療サービス」ではなく、「保健サービス」として特徴付けていた。すなわちNHSは、患者の医療費を経済的に保障するという旧来型の医療保障の考えを脱却し、より良い健康状態の実現を目指した「健康保障」の領域に到達していたと見ることができる。地域型の医療保障は、公衆衛生の手法を基礎とした疾病予防のための包括的なサービス提供が容易になる点、就業状況によらずサービスへのアクセスの平等性を実現できる点において利点を持つ。
 だが、「健康保障」のためには、地方自治体がイニシアティブをとって、一般医や病院との連携を深め、切れ目のないケア提供をしていくことが必要であった。にもかかわらず、専門職としての独立性を重んずる医師の抵抗のために、初期にはそれを円滑に進めることができなかった。そして、地方自治体の施策によって専門職の協働が進められたが、保健師や地区看護師を病院・診療所に配置するという手法での連携は、地方自治体の看護職が担うべき職務を、疾病予防を目的とした包括的な活動から、治療中心の活動へとシフトさせていくことになった。さらに、1960年代の計画や改革の動きによって、NHSにおける保健と医療の関係は、医療を中心としたサービスの方向に傾いていった。
 このように、NHSの発足から20年を経て、各々のサービスの位置づけや専門職の役割は明確化されたが、構想時の包括性の理念はなおざりにされてしまった。予防志向の地域型医療保障にとっては、疾病予防からリハビリテーションまでのサービス内容の包括性が不可欠であったはずだが、NHSは病院での治療とそれを効果的に行うための補助的サービスの集合体となってしまったようである。すなわち「健康保障」を目的に構想された「保健サービス」としてのNHSであったが、1960年代末には既に「医療サービス」としての性格づけを与えられていた。こうして、急性疾患への治療を主な目的とするNHSが、1960年代の終わりに形成されたのであった。

このページの一番上へ