博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:スウェーデンの公的年金制度改革の特質と課題
著者:山本 麻由美 (YAMAMOTO, Mayumi)
博士号取得年月日:2006年3月28日

→審査要旨へ

目次

序章
(1) 問題意識
(2) 先行研究の整理
(3) 論文の課題と構成
第1章 旧制度の概要
第1節 制度の仕組み
第2節 制度の実施状況
(1) 高齢期に対する所得保障の充実
(2) 早期退職への対応
(3) 高まる給付費用と財政問題の出現
第2章 改革の経緯
第1節 1990年に出された年金委員会の最終報告書の内容
第2節 年金ワーキング・グループの特徴と1994年に出された最終報告書の内容
第3節 1998年に新制度が成立するまでの反対意見と事態の収拾
第3章 新制度の特徴
第1節 新制度の概要
第2節 財源が給付内容に及ぼす影響
(1) 概念的確定拠出方式の特徴と利点
(2) 保証年金の役割
第4章 改革後の課題と対応
第1節 近年の賃金交渉の方針
第2節 新制度が持つ就労延長を誘導する仕組み
第3節 就労延長を促す取り組み
結語






要旨

序章
高齢社会において公的年金制度をいかに実施していくかという課題は、大なり小なり先進国が共通して抱えているものである。特に、今後、人口の高齢化が急速に進展していく日本では、その解決策が早急に求められており、2004年に改正が行われたばかりである。改正により、将来は保険料率を確定しておき、給付の改定率をマクロ経済の動向に合わせて変化させることになった。これらの改正内容は制度の性格を大きく変更する可能性を持っている。とはいえ、2004年の改正では変更内容の概要が決定されただけであり、具体的な仕組みがどのような形を取るかが明らかではないため、今後の公的年金制度の性格をはっきりさせるには至っていない。
 日本の制度改正に先立ち、保険料率を確定する公的年金制度へと改革した国に、スウェーデンがある。日本において、スウェーデンの1999年改革に対する関心は高く、日本の制度改正を論じる際にもスウェーデンの改革内容が言及されている。しかし、なぜスウェーデンで保険料率が確定されることになったのか、そして問題は全て解決したのかという点を検証しなければ、本当に先駆者であるスウェーデンの経験から学ぶことはできない。本論文ではスウェーデンが公的年金制度改革で保険料率を確定した背景と制度の特徴を詳しく検討する。そして、日本への示唆を引き出すために、改革によって発生した新たな課題を指摘し、現在とられている対応にまで言及する。

第1章 旧制度の概要

スウェーデンにおける1999年改革以前の公的年金制度は全国民をカバーする単一の制度として作られており、国民基礎年金制度(Allamänn folkpension: all people’s national pension)以下、「基礎年金制度」と略記)を1階部分とし、その上に国民付加年金制度(Allmänn tilläggspension: all people’s supplementary pension,以下、「付加年金制度」と略記)を乗せる2階建ての構成をしていた。基礎年金制度と付加年金制度はともに、老齢、傷害、そして寡婦・遺児の3つの年金を給付した。本論文では2つの制度を「旧制度」として論じ、特に断らない限り老齢年金に言及するものとする。
基礎年金制度は1946年に制定されて1948年から実施されている。過去の就労歴や所得に関わらず一定額を給付し、保険料と国庫補助金によって財源が賄われた。付加年金は1959年に制定されて1960年から実施されており、過去30年間の就労歴があれば(30年ルール)従前所得のうち良い方から15年分の平均額(15年ルール)の60%が給付された。財源は、保険料と付加年金基金の運用益によって賄われ、保険料は雇用主が拠出した。いずれの給付額も消費者物価の上昇に合わせてスライド(改定)された。
基礎年金制度が実施された1948年以前は、それまであった公的年金制度の給付水準が低く、1947年の時点で高齢者世帯の17%が公的扶助を受け取っていた。しかし、基礎年金の給付が始まるとその割合は減少し、1949年には6.5%になった。その後、老後の更なる所得保障を求めるブルーカラー労働組合の声が現実のものとなり、1960年から付加年金制度が実施された。1969年には基礎年金だけを受け取っている人と付加年金も受け取っている人との受給額の差を縮めるために、基礎年金制度の財源から新たに補足手当が給付されることとなり、1974年に高齢者世帯のうちで公的扶助を受けている率は4%に下がったのであった。
付加年金制度には30年ルールがあったため、制度発足当初の給付額は少なかった。しかし、1976年に給付開始年齢が67歳から65歳に引き下げられたことや、加入期間が伸びたことなどにより、付加年金額は増えていった。可処分所得で見ても、高齢者の所得水準は上昇し、2003年において前期高齢者世帯の所得水準は、中年世帯の70%前後となっており、年金生活に入っても生活水準が大きく下がることはないと考えられる。
公的年金制度が老齢年金によって65歳以上の所得を保障する一方で、それより若い高齢労働者の所得保障も担うようになっていた。1960年代後半に高齢労働者の解雇条件が厳しくなったが、石油危機後に雇用調整を行う必要性が高まり、労使協約に基づいて早期退職をする道が開かれた。早期退職の方法は、すでにあった公的な社会保険からの給付に労使協約に基づく給付を上乗せする形をとっており、社会保険として早期退職の最終的な受け皿となったのは公的年金制度からの給付の一つである障害年金であった。障害年金の給付要件が緩和されて失業も認められるようになり、60歳を過ぎた人に対する所得保障も整えられたのである。1976年には、61歳を過ぎた高齢労働者がパートタイム労働に切り替えた際の減収分を代替する部分年金制度ができたが、稼得能力が減退した65歳以前の高齢労働者の所得を主に支えたのは公的年金制度であった。
このような給付の財源の大部分は雇用主が負担していた。基礎年金制度の保険料は当初、被保険者である国民が所得に比例した額を払っていたが、1974年からは雇用主が払っている。そして、増えていく総給付額を賄うために保険料率はほぼ毎年引き上げられていった。
1970年の人口高齢化率は13.8%であり、80年代後半には高齢化が進んでいくにつれて高齢労働者が労働量を減らすことが公的年金制度の財政に悪影響を及ぼしていると指摘されるようになった。保険料は雇用主が支払賃金総額に応じて払うため、早期退職をすれば拠出は全くされないためである。さらに、障害年金受給者が増えることは公的年金制度にとって収入減と支出増が同時に起こることを意味した。老齢年金に関しても、高齢者の余命が伸びて給付期間が長くなり、特に付加年金制度において総給付額が急速に増加していた。1991年から障害年金の受給要件が厳格化されて対策が採られ始めたが、そのような状況に追い討ちをかけるように大不況となって失業者が急増する事態となり、公的年金制度でもスライド幅が圧縮されて給付面での引き締め策がとられた。


第2章 改革の経緯

政府が制度の改革を検討するよう年金委員会に指示したのは1984年にまで遡る。年金委員会では、今後2%の経済成長が続けば、制度に若干の修正を加えるだけで財政問題は起こらないだろうという見解を示した。そのかわり、給付に反映されない所得が増加していることを問題として取り上げた。制度の原則である従前所得保障が侵食されているという指摘である。しかし、制度を修正しようとしても既得権を失うことになる団体が反対した。結局、1990年に出した最終報告書の中では制度を部分的に修正する場合に取りうる選択肢を挙げるにとどまったのであった。
1990年に出された最終報告書は、内容が不十分であるとして実行には移されず、その後、1991年に行われた選挙で社会民主党から政権を代わった保守中道連立政権が設置した年金ワーキング・グループにおいて改革内容が検討されることとなった。年金ワーキング・グループでは拠出した保険料に給付額を結びつけるという意味の生涯所得原則を取り入れることで合意した。これは制度の根幹に関わる重大な変更であり、連立与党の議員が議長を務め、社会民主党が野党として参加したことが鍵となった。そして生涯所得原則を柱として改革案が詰められた結果、拠出した保険料を用いて個人ごとに年金資産を形成し、給付開始時にそれを平均余命年数で割って年金額を裁定することとなった。1994年に連立政権の4党と社会民主党との間で年金改革に関する5党合意を結び、国会で改革の原則案が採択された。
その後、制度の細部に関して労働組合や社民党の一般党員から反発が出たが、労働組合の中で意見が割れたことや制度設計に関して妥協が行われて議論は決着した。特に、社会民主党内部では、当初、一般党員が新しい生涯所得原則を拒否して従前所得原則の維持を求めたものの、党の執行部は生涯所得原則を支持し、論点を原則の選択に関するものから制度設計の細部にそらしたという経緯があった。
そして、1998年に新しい公的年金制度が成立し、翌99年から実施された。新制度に基づいて計算した給付は2001年から開始され、新しい仕組みが完全に適用されたのは2003年からであった。

第3章 新制度の概要

新制度は旧制度に引き続き、全国民をカバーする単一の制度である。ただし、改革によって寡婦・遺児年金は遺族年金として独立し、障害年金は疾病保険制度に統合され、そして老齢年金も独立した。本論文ではこの新しい老齢年金制度を新制度と呼ぶこととする。新制度は所得比例老齢年金(inkomstgrundad ålderspension: earnings-related old-age pension)に最低保障を行う保証年金(garantipension: guaranteed pension)を組み合わせた構成となっている。そして所得比例老齢年金は、所得年金(inkomstpension: income-related pension)とプレミアム年金(premiepension: prefunded pension)から成る。所得比例老齢年金からの給付額が基準に満たない場合に保証年金が給付される。財源は、所得比例老齢年金が保険料によって賄われ、保証年金は国庫補助金によって賄われる。
所得比例老齢年金制度に対して拠出される保険料率は、保険料を控除した後の年金対象所得に対して18.5%で確定された。雇用主が支払い総賃金の10.21%、被用者が年金対象所得の7%を負担する。18.5%の保険料率のうち16%分は所得年金制度において同時期の年金を給付するために使われるものの、各被保険者ごとに保険料額が記録されて年金資産を形成する。2.5%分はプレミアム年金制度において積み立てられ、各自が運用して年金資産を形成する。
所得年金制度では、年金資産を受給開始時の平均余命で割った額が給付され、プレミアム年金制度でも年金資産を年金に変えて受け取ることになる。前者からの給付額は平均所得上昇率によってスライドされる。給付裁定額の100%はもちろん、その25%、50%、75%を選ぶこともでき、61歳以降いつからでも受け取り始めることができる。また、所得年金制度では給付総額が財源を超えないようにする仕組みも設けられた。自動均衡装置と呼ばれる計算式で将来の財政状態を計算し、赤字になると予想されれば給付額のスライド幅と年金資産の増え幅を下げることとなった。
一方で、保証年金は65歳から給付され、給付額は消費者物価上昇率によってスライドされる。
新制度は年齢ごとに新制度を提供する比率を増やしていき、1954年生まれの人から新制度のみによって給付額が計算されることとなった。
新制度においてどのように所得を保障するのかを確認するために財源に着目し、財源が給付及ぼす影響を考察したい。
まず、所得年金制度は掛金建ての仕組みとなり財源が限られたため、財政赤字になりそうな時は、給付面を抑制するように調整することとなった。新制度で採用された新しい給付算定方式は概念的確定拠出方式と呼ばれ、同時期の給付に保険料を充てる修正賦課方式で財源を組んだ場合でも、掛金建ての制度として設計できる道を開く画期的なものであった。概念的確定拠出方式では、掛金建ての仕組みを利用する一方で、年金資産を実際に運用する代わりに利率を政策的に決定するため、年金資産を安定的に管理できる。これにより、保険料を同時期の給付に充てる修正賦課方式を変更することなく、算定方式を大きく転換することができたのである。
もっとも、年金ワーキング・グループでは最初から概念的確定拠出方式で制度を作ろうとしていたわけではなかったが、結果的に掛金建ての仕組みを望んでいた与党側が実を取り、当時野党であった社会民主党も財政方式が積立方式に転換しなかった点で体裁を保つことができたのであった。そして、掛金建ての制度となったことで、保険料率を確定することもでき、将来の税及び保険料負担を増やさないという経済政策上の要請にも応えるものとなった。
十分な年金資産を形成できなかった人には、これを補うために保証年金が用意された。最低消費水準の保障を目的とした給付であり、一定額に達しない人に給付対象を限定し、かつ、給付額は消費者物価上昇率でスライドされる。保証年金の財源である国庫補助金の内容を見てみると、年によって差はあるものの間接税が最も大きな比率を占めていた。低所得者層の方が間接税の負担率が少し高いことが統計に表れており、保証年金を給付する効果はひとまず物を買えるようにすること、すなわち購買力をつけることに限られる。したがって給付する対象を受給額の低い人に絞ったのは合理的な決定だったと評価できる。

第4章 改革後の課題

以上見てきたように、99年改革によって財政上の問題は解決されたが、新制度にも問題がないわけではない。公的年金制度に関わる諸要素の変化は財政問題として現れるのではなく、給付水準の低下として現れるようになったのである。すでに給付水準に関する予想では、1940年生まれの人の裁定額は同じ時期における現役労働者の所得の64%に相当するのに比べて、1990年生まれの人の裁定額は同51%となっている。
裁定額を上げるためには、給付の主力である所得比例老齢年金制度でより大きな年金資産を形成する必要がある。近年の賃金交渉における方針は、経済状況及び安定した物価とのバランスが取れるように賃金の引上げ率を決定することとなっており、この方針に沿った形で正式な賃金交渉プロセスが整えられてきている。これにより、今後は賃金の大幅な引き上げを望みにくくなった。したがって、新制度の下で年金裁定額を増やすためには働き続けて年金資産を増やすことが現実的な対応策となる。
新制度では各被保険者の総給付額が決まっているため、早期退職防止どころか就労延長を誘導する仕組みであるといえる。年金の裁定額の25%、50%、75%を受け取りながら働いて賃金を得れば、新たに保険料を払うので年金資産を増やすこともできる。就労所得と年金所得は同じ所得課税対象となったため、税制上どちらが有利ということはない。スウェーデン社会保険庁から被保険者宛に将来の予想年金額についての通知が毎年届くこととなり、これを見て各人が高齢期において賃金収入と年金収入あるいは他の資産収入をどのように組み合わせるかを検討することが期待されている。新制度は、自分の望む年金額を受け取るためにどれくらい働き続けなくてはならないのかが分かる仕組みなのである。
しかし、個人の計画だけで就労を延長するのは難しい。とはいえ、就労を延長する方が有利であるというのは個人レベルに関してのみいえることではなく、制度全体としても保険料収入が増えれば、給付総額を抑制するように自動均衡装置を使って調整する必要がなくなる。所得比例老齢年金制度にとって、雇用政策は切り離すことができない関係にあり、実際にスウェーデンでは年金制度改革の次の段階として重点的に取り組まれている。
 1999年には20歳から64歳人口の就労率を2004年までに80%に引き上げることが政府の政策目標として予算案の中で掲げられた。55歳以上の中高年者グループ80%に引き上げる必要があるグループの一つであり、このグループを対象にした就労率引き上げ策に力が入れられている。高齢労働者に対しては、特に2000年代に入って、できるだけ退職を遅らせようと諸制度が作り変えられてきている。67歳より若く退職年齢を定めた労使協約を結ぶことが認められなくなり、疾病保険でも職場復帰を促すように内容が大きく変更されている。職場での健康に関する重点プログラムも出された。労働者が就労生活を長く送ることができるように職業能力を上げるための支援も行われている。

結語

99年改革によって保険料率が予め確定されたため、国としては年金財政の見通しを立てやすくなり、また保険料を拠出する雇用主はこれ以上賃金に対する保険料の比率が増すことはなくなった。これら2者にとって改革は将来に対する安心感を提供したが、一方で年金受給者の新規裁定額は下がっていくこととなった。改革によって財政上の問題が解消された代わりに、受給者の年金水準をいかに維持していくかという新たな課題が生まれたのである。新規裁定額を少しでも高くするためには、長く働く必要がある。一方、高齢化率が高い中でスウェーデンの経済生産をこれからも維持し発展させるために就労人口の規模を保とうとすると、今まで退職していた中高年労働者の就労率を上げる必要が出てくる。高齢労働者の労働供給を増やすために新制度の就労延長インセンティブも活用されようとしているということもでき、雇用問題と新制度の年金水準の問題が相互に関連しあうようになってきたことが見えてきた。
日本に照らし合わせて考えた場合、日本の公的年金制度ではスウェーデンの旧制度が抱えていた従前所得と給付額の関連が弱いという問題や早期退職者の増加が公的年金制度の財政を圧迫しているという問題は出てきていない。一方で、スウェーデンには見られない制度の空洞化問題はある。さらに、日本でも将来はスウェーデンと同様に保険料率を確定することにしたため、制度は掛金建ての性格を帯びてくると考えられるにもかかわらず、制度を改正した際に給付額の算定式は示されなかった。これは、財政負担の膨張を抑えるという1点に関心が集中したためだろう。
しかしながら、日本でも保険料率を確定することにした点で、給付水準と雇用問題の関連性は強くなってくると考えられる。本論文の冒頭において紹介したように、日本の高齢化率はスウェーデンを追い越してさらに上昇していくと予想されており、雇用問題は将来における高齢期の所得保障の観点からも喫緊の課題として取り組む必要があると思われる。

このページの一番上へ