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博士論文要旨

論文題目:政府・企業の関係と業界団体の役割-1990年代の日本の石油産業における規制緩和を事例として-
著者:柳川 純一 (YANAGAWA, Junichi)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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Ⅰ.はじめに

1. 本論文の目的・・・1頁
2. 分析の枠組み・・・5頁
3. 分析対象の概要
(1) 石油の生産過程と石油製品の種類と用途・・・10頁
(2) 石油製品の流通・販売形態・・・20頁
(3) 石油流通システムにおける主要アクター・・・22頁


Ⅱ.規制緩和以前の石油産業

1.戦後経済自立期の石油精製業(1950年代を中心に)

(1) 元売制度の発足・・・27頁
(2) 外貨割当制度と石油政策・・・28頁
(3) 消費地精製方式の確立・・・29頁

2.戦後経済自立期の国内石油市場

(1) 重油需要の拡大からの出発・・・31頁
(2) 物流網の整備と元売のチャネル管理・・・32頁
(3) 国内市場の発展・・・35頁

3.石油産業のおける団体

(1) 業界団体石油連盟の誕生・・・36頁
(2) 労働組合の結成:全石油の誕生・・・41頁
(3) 販売業団体の組織化・・・47頁

4. 石油業法の成立

(1) 石油業法成立に向けての政府の動き・・・48頁
(2) 石油業法施行後の混乱・・・55頁
(3) 混迷を深める市場・・・57頁
(4) 石油危機と価格体系の歪み・・・61頁

5. 新たな問題の出現

(1) 公害対策・・・63頁
(2) 安全対策・・・68頁

6. 小括・・・71頁

Ⅲ.第1次規制緩和以後の石油産業

1. 規制緩和議論の開始

(1) 議論開始の背景・・・75頁
(2) 臨調・行革審と石油産業・・・79頁
(3) 悩める業界団体・・・81頁
(4) 規制緩和スケジュールの確定・・・84頁


2. 第1次規制緩和の開始(平時における行政指導レベルの緩和:1987~1993年)

(1) 精製設備処理と元売集約・・・88頁
(2) 石油販売業の構造改善・・・99頁
(3) 地球環境問題への対応・・・101頁
(4) 石油労連の誕生・・・107頁

3.第2次規制緩和(流通と製品貿易の自由化:1996~98年)

(1) 元売の経営戦略の転換・・・111頁
(2) 元売の経営戦略における環境対策の位置づけ・・・162頁
(3) 労使関係の変容・・・183頁
(4) 業界団体の役割の変化・・・190頁


4.変革する国内市場

(1) 国際価格体系の浸透・・・228頁
(2) 国内市場における取引慣行の変化・・・231頁
(3) ガソリン小売販売構造の変化・・・240頁
(4) ガソリン小売販売業界の雇用問題・・・245頁


5.小括・・・249頁


Ⅴ.結論

1.公共空間内での組織間再編成・・・255頁
2.市場空間での変容・・・257頁
3.生活空間での再編成・・・259頁


Ⅵ.参考文献・・・262頁



本論文の目的は、業界団体の役割に焦点を当てながら日本の石油産業及び石油製品市場を形成してきた諸要因を歴史的に分析することによって、産業(企業)と政策との関係の変容、及び市場における取引構造の変動を解明していくことにある。日本の石油産業は過去長期間にわたり政府の管理化におかれ、政府の規制は生産分野(石油精製)、石油製品市場、競争のあり方、業態の形成までを広範囲に規定し、企業にとっての政府規制の存在は経営上の与件と長らく考えられてきた。規制と規制緩和の及ぼす影響は、規制が固定してきた業務環境とその期間における市場環境との乖離に集約でき、規制緩和の影響はその調整過程として現れると考えられる。それでは日本の石油産業においては、規制緩和以前と以後とでは、どのように変わったのであろうか。その歴史的解明をすることが本論文の課題である。それにはまず、規制緩和以前の石油産業を明らかにする必要があると考える。石油精製業(元売)の業界団体である石油連盟というアクターに焦点を当てつつ、組織間関係の枠組みを使って産業(企業)と政府との関係、上部団体との関係、産業レベルの労使関係といった点に留意することで、規制緩和以前の石油産業、国内石油製品市場がどのようなものであったかを解明する。その上で、規制緩和が実施された後、産業(企業)と政策との関係の変容、及び市場における取引構造の変動がどのようなものであったかを中心に解明していくことを最終的な目的とした。
また、分析に当たっての枠組みだが、歴史的経緯を追うために時間軸を使いながら、空間軸という分析視覚を活用した。これはある一定の制度、仕組みがなぜ特定の空間に導入されたのかという問題設定の際、有効であると考えたためである。また、組織間の社会関係が展開される社会空間を公共空間、市場空間、生活空間と定義し、社会空間における業界団体である石油連盟に焦点を当てつつ、相互作用の相手である他の組織(アクター)との関係に着目し、分析を行った。具体的には、業界団体と企業という社会的役割が異なる関係がどのように変化したか、市場における元売・販売業者間での系列化を伴う取引関係がどのように変化したのか、また業界団体とその上部団体である経団連の関係が規制緩和や環境対策を通じてどのように変化したか、そして政策的に管理単位だった元売(企業)が規制緩和とともに政府との関係をどのように変化させてきたかという4つを主に焦点として取り上げ、分析を進めていった。

まず、Ⅰ-3において、石油産業の事業活動、及び主要アクターについての概要を説明した。Ⅱ章においては規制緩和以前の日本の石油産業がどういうものであったかを歴史的に解明した。Ⅱ-1では戦後、1950年代、外貨割当制度の下、石油精製業は規制される前の駆け込み投資を繰り返しながらも、石油需要の拡大に伴い、その生産力を高めていったことを述べた。Ⅱ-2では連産品という石油特性によって、過剰なガソリンが市場に供給されるようになり、販売小売業にとっては事業拡大の局面を迎えたが、一方でこれは元売系列を前提とした石油製品市場の構築を意味していたと考えられる。また、Ⅱ-3では、産業全体にエネルギー源としての影響力を増していく中で、労使協調制度が形成されていき、それが消費地精製方式の確立につながっていったことから、産業レベルの労使関係にはおいては、労組である全石油が協議体でありながらも、産業活動に不可欠な存在として、経営側に影響力を高めていくことになったことを解明した。同時に、業界団体である石油連盟や販売業団体の設立についても述べた。
Ⅱ-4においては、1962年になると貿易自由化の流れから石油産業を除外するための動きが政府側から生起され、結果的に消費地精製方式をベースとし、生産・価格調整に強制力を伴う石油業法が成立した経緯を説明した。この結果、元売の系列内で、当該元売と販売業者で個別的に管理されていたガソリン市場での取引は、それぞれの業界団体による包括的・組織間的な調整へと移行したことを述べた。また、労働組合側からみると、雇用確保において重視していた消費地精製方式による安定供給が政策によっても認可されたことにより、労使協調制度が公的空間にも組み込まれ、強化されていく過程も述べた。1962年以降、石油業法の管理下、「自主的な調整と協調」を業界団体石油連盟と全石連とで行うという組織間調整メカニズムがガソリン市場での取引関係を規定することになったのだが、これは公的空間に組み込まれ、政策的にも管理対象となった事業者の団体同士が、市場空間をも統制していこうとする製販カルテルが形成されたことを意味したという結論を得た。
Ⅱ-4-(4)では、1970年代に起きた2回の石油危機という外部環境の劇的な変化は、石油業法の管理下にあった市場空間にも大きな影響を与えたことを解明した。石油業法下の石油連盟における生産調整機能が著しく低下することになり、業界団体同士の数量・価格調整は機能不全となり、元売・販売業者間の個別的取引によって価格が形成されるようになっていったことを歴史的に述べた。さらに、カルテル事件によって業界団体による調整機能は完全に停止することになり、石油業法自体の正統性も大きく揺らぐことになり、業界団体を組み込んだ公的空間による市場空間の管理は限界を迎えたのが1970年代だったことを述べた。また、Ⅱ-5では、新たな問題として公害対策に石油産業は直面し、その過程において90年代における地球環境問題への対応の基盤となる組織間関係が構築されていったことを述べた。
Ⅲ章においては、石油産業における規制緩和議論が開始された背景にまず1.で迫った。1980年代に入り、元売の経営危機が顕在化すると、所轄官庁である通産省は石油産業における構造改善への提言をまとめたが、これは従来の石油業法による石油産業の管理が事実上、行き詰まったことを意味し、製販カルテルの市場管理による安定供給策の終わりを意味していたことがわかった。また、80年前後、石油業界は臨調といった政策活動に経団連を通じての協力をする責務が発生し、エネルギーコスト低減のためには石油産業の構造改革が必要であるという産業界の意見を受け入れる必要性にも直面していた。政府や産業界からの強い要請を受け、80年代半ばには元売の集約化が一部実施される一方、ガソリン市場の取引関係では、特約店転籍、事後調整などの不透明な取引慣行が元売・販売業者間で行われるようになっていったことを述べた。また、労使関係においても、構造改善に労組は協調姿勢を示しつつも、雇用機会が喪失する生産設備の調整には反対した一方で、業界団体である石油連盟は、カルテル事件の影響で生産・価格調整機能はなくなっており、内外の石油にかかわる動向調査が団体活動に中心になっており、85年には23年ぶりの組織改編によって、調査機能はより強化されていくことになったことを述べた。
Ⅲ-1-(4)では、80年代半ばになると、臨調・行革審答申による石油産業の規制緩和要請、及び進捗状況のチェックとともに、市場開放への国際的な圧力も出てきたために、石油製品の輸入自由化や産業の国際化が議論されることになったが、その議論において主要アクターの立場を説明することによって、石油産業の規制緩和スケジュールがどのように設定したかを述べた。90年代に入ると元売各社の国内石油需要予測の誤りから、生産能力の増強が実施され、それに伴いSS数も増加する事態になったが、これは元売の供給過剰体質は是正されていないことが原因であることを述べた。
また、Ⅲ-2-(3)では、80年代後半には地球環境問題への高まりにより、産業の大量生産方式への不安・批判が欧米の一般市民レベルで生じ、石油産業もその事業基盤自体に厳しい目が向けられるようになった。国内においても、輸出産業である自動車業界から公害対策の産業間調整チャネルを通じて、石油連盟に製品改質などの環境対策が要請されようになり、また石油連盟による海外動向調査によっても環境運動の高まりの報告がなされていたこともあって、元売各社にとっても重要な経営課題との認識が形成されていったことを述べた。また経団連による包括的な環境対策が実施され、石油業界も石油連盟を通じて経団連との共同歩調を強めるとともに、産業界の包括的対応による環境問題の解決を志向するようになったことを解明した。これには石油連盟の実務家への質的調査を活用した。
Ⅲ-2-(4)では、1986年、戦後初めて石油産業を代表する石油労連発足が発足され、産業基盤の強化の目標が労使双方で共有された上での労使協調路線が確認されていった。しかし、産業基盤強化という目的の共有化によって、産業基盤強化のための経営戦略・経営判断というものが、従来のように労組側に拘束されていかなくなる過程につながっていったと考えられる。
 Ⅲ-3では第2次規制緩和である96年の特石法廃止以後、石油産業が原則自由化されるとガソリン市場には異業種の新規参入が相次いだ。経営上コスト管理の基準作りと国際化への対応に迫られた元売は、市況に連動する生産体制の構築に着手し、生産能力削減を視野に入れ始めた。そして、国際製品価格連動制の取引関係を市場における取引関係の中心に据える努力を開始した。そのため、従来の事後調整といった取引慣行によって延命してきたガソリン販売業者で、経営体力がないものが市場から退出することになった。そのため、販売業の雇用吸収力が減少し、他産業への雇用移転がスムーズにいかないというセクター間クラッシュの問題が表面化したことを述べた。
また、製販カルテル時代には石油業法の下、市場管理のパートナーであった石油連盟と全石連は自由化された市場のルールをめぐって対立するようになった。ガソリン市場において参入障壁がなくなり、大型SS業態が増加する中、市場の取引関係は、供給・価格リスクを元売が取りながらも相互に自律的な関係へと移行するコミッション・ビジネスモデルと、市場価格に基づき短期的な取引関係を採用する市場立脚型・ビジネスモデルの2つが並存するようになったと分析した。元売の原料調達においては、各社の対応に変化が見られる。市況対策上、国際価格連動制では一致しているが、いわゆる民族系といわれる会社が、国際市場制度を活用するとともに、発電事業の新技術確立を平行させ、現行の調達量を抑制しようという傾向を持つようになるのに対して、外資系といわれる会社では、生産技術の改良とともに、自社グループの国際的調達能力を活用していこうとする傾向を示すようになったと考えられる。Ⅲ-3-(1)、(2)において、企業での実務家への質的調査結果を活用した。
 Ⅲ-3-(3)では、労使関係においても、戦後一貫して消費地精製方式を支えてきた労使協調に変化が見られるようになったことを述べた。経営上、コスト管理体質の強化の方針が強まる中、人員削減計画が一部の元売で96年以降、実施されることとなる。経営戦略の事業範囲見直しによって提携先への出向者が大量発生するケースや、成果主義的人事評価の導入によって春闘におけるベア交渉の廃止が決定されるケースが出てきたことを、労組関係者、企業の人事部関係者の聞き取り調査によってわかった。このような事態を受け、産別組織石油労連は石油精製業という産業基盤の維持のために消極的支持を打ち出す一方で、隣接する化学やガス業界の産別組織合同を検討するようになる。これは、従来の労使協調制度で発揮されてきた影響力が減退していったことも意味したと考えられる。
 環境対策においては、90年代に入ると産業界でも温暖化対策への取りまとめの動きが活発になったが、91年の経団連地球環境憲章の制定以降、経団連との協調を強めつつあった石油連盟は、以前よりあった産業団体間の組織間調整メカニズムも活用して環境問題に対する調査や産業界との協調的対応に向けて組織活動を活発化させていったことをⅢ-3-(4)で述べた。これには石油連盟の実務家の質的調査結果を活用した。また、企業、団体への質的調査から、各産業が目標を設定した上で環境負荷因子とされる物質を削減していくという「地球環境保全自主計画(通称:環境計画)」の制定を受けて、経営戦略上環境対策を上位概念に据える元売が出てきたこともわかった。これは、産業の存立基盤自体の動揺に危機意識を持った民族系元売が団体の情報機能を活用した結果でもあり、また業界協調の結果である自主計画がそのまま政府の温暖化対策に組み込まれたためでもあったと考えられ、石油連盟は環境対策において、情報収集機能と産業界との共同歩調に向けた調整機能といった新たな役割を担うことになったことが判明した。
 Vの結論では、Ⅰ-2の分析枠組みを活用し、設定した空間における組織関係の変容を述べた。規制緩和を受けて、企業が公的空間から離脱し、市場空間における取引関係などにおいて、影響力を強めていることを述べた。また、規制緩和と時を同じくして生起した環境対策において、経済団体-業界団体の組織間関係連携強化によって、公的空間においての影響力を増していることも述べた。日本の石油産業の規制緩和前後を考察した結果、市場空間において優位にたった企業とその業界団体、及び経済団体との組織間関係は、団体間の自己調整システムによって公的空間に影響力を与えるとともに、生活空間への影響力も持つような存在に規制緩和以後なったという結論に至った。


以上

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