博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:シティズンシップのポリティクス-多文化国家オーストラリアにおける包摂と排除の構造-
著者:飯笹 佐代子 (IIZASA, Sayoko)
博士号取得年月日:2006年3月28日

→審査要旨へ

問題の所在
国境を越える人の移動が増大し、先住民族をはじめとする既に存在しているマイノリティに加え、様々な出自の移民や難民が流入することにより、多くの国家において文化・民族的な多様化が一層進みつつある。こうした中で近年、文化的な多様性や差異をめぐる課題が、シティズンシップ(政治共同体の「メンバーシップの意味と範囲」に関わる諸事)をめぐるポリティクスにおいて重要な争点となってきている。
第一には、文化的、民族的背景の異なる人々に対してどのように、またどこまで国境が開かれるべきか、という課題である。第二には、移民や先住民族などのマイノリティの権利と社会参加をめぐる課題であり、特に近年、文化的多様性/差異に基づく権利の是非が論争を喚起している。そして、国家の構成員の多様化が進み、マイノリティの文化的主張が強まるのに伴い、従来の国民国家を規定していたナショナリティの有効性も問い直されつつある。こうした状況を受けて浮上しているのが、ナショナル・アイデンティティ、もしくは国民統合の理念をいかに再構築していくのか、という第三の課題である。この第三の課題は、とりわけグローバリゼーションの進展によって国家主権の相対化が声高に指摘される中、国家としての正統性をあらためて獲得する必要性とも相俟って、多くの国家が直面する焦眉の課題となっている。
では、こうした課題に対して、シティズンシップをめぐる政策はどのように応答し、それを通じて「メンバーシップの意味と範囲」はどのように再編されようとしているのであろうか。本論文の目的は、こうした問いについて現代オーストラリアの事例に着目しながら考察し、メンバーシップの包摂と排除の構造を明らかにすることにある。
考察対象としてオーストラリアを取り上げるのは、同国には先住民族と様々な出自の移民、さらには難民をめぐる政策課題が同時に存在しており、シティズンシップ再編のダイナミズムを考察する上で示唆に富む興味深い素材を提供しているからである。白豪主義から多文化主義への大きな政策転換と、多文化主義政策の推進ならびに先住権の展開、それに対する批判と揺れ戻し、さらには多文化国家としてのアイデンティティの模索などを背景に、特に90年代後半以降、同国は文化的な多様性や差異の観点からシティズンシップのポリティクスが最も活発に展開されている国家の一つとなっている。
さて、本論文は、近年のアカデミズムの論調において文化の多様性/差異を尊重するシティズンシップ概念への期待感が高まる一方で、そうした期待と「統治(government)」として実践される現実のシティズンシップ政策とのギャップは、むしろ拡大しつつあるのではないか、という懸念を出発点としている。その懸念は、アカデミズムにおいて優勢なシティズンシップ論のいくつかの傾向に対する疑問と結びつく。
第一は、規範的なシティズンシップ論における、古代ギリシャを起点とした歴史的連続性を強調する傾向に対してである。都市国家アテネを起点に紐解かれ、市民革命を経て現代にまで引き継がれる壮大なシティズンシップの歴史物語は、啓蒙主義的な価値観に貫かれている。それは、普遍主義を唱えつつも、シティズンシップならびにデモクラシーを西洋発祥の西洋の占有物と見なしている点で、排他的な歴史観を露呈しているようにみえる。E.イシンが主張するように、アテネのシティズンシップ・モデルは、むしろ「創られた伝統」として各時代の支配的なシティズンシップ言説の中に、そのイメージに合う形で組み込まれてきた側面が強い。本論文では、そうした歴史的起源が、現代のシティズンシップ概念の構築においていかに利用されているのかに注意を払う。また、多様性や差異の尊重を求める要求に対して、いわば「文明化の使命」を帯びた西洋中心主義的なシティズンシップ概念が持つ限界や矛盾についても、考察すべき課題となる。
 第二の疑問は、T.H.マーシャルによる理論の影響にもより、シティズンシップを諸権利の段階的な獲得に基づいた「平等」の達成という、単線的な進化のプロセスとして捉える見方に対してである。ここでの最大の問題は、諸権利を与える側の支配的集団と、与えられる側の被支配的集団との間に存在する権力関係が決定的に見落とされていることにある。特に主流社会とは文化的に異なる先住民族などのマイノリティの場合、かれらにとって主流社会の価値観に根ざした「権利」を付与されることの意味は、注意深く吟味されねばならない。さらに、マーシャル理論の射程に入っていなかった、文化的差異に基づく集団の権利という新たな権利概念の展開についても、その画期的な意義を認めつつ、進化論的なシティズンシップ観に安易に回収してしまうことには慎重であるべきであろう。
 それに関連して第三に再考を要するのは、日本における「シティズンシップ」の受けとめられ方についてである。日本では、おそらくシティズンシップに「市民権」という訳語が当てられていることもあって、その多くの研究が諸権利の獲得をめぐる論点に集中している。とりわけ、定住外国人の政治参加を含む諸権利の課題が、マーシャルの進化論的シティズンシップ観に依拠しつつ論じられる傾向が強い。そこではシティズンシップの議論が権利の問題のみに矮小化され、ナショナリティや国家による統治の問題との関連性を問う姿勢が希薄であるという問題をはらんでいる。
権利アプローチも、また規範的アプローチも、ともにシティズンシップ研究の重要な側面を担うものであることは論をまたない。しかし、それらだけでは「シティズンシップ」の表題のもとに果たして何が問い直され、その帰結として何が起こっているのか、その全体像を捉えることはできない。本論文では、二つのアプローチに対する上述の問題意識を踏まえつつ、政府によって「統治(government)」のために実践される政策としてのシティズンシップに焦点を当て、「メンバーシップの意味と範囲」をめぐって展開されるポリティクスの動向を、種々の具体的な政策課題の検討を通じて立体的に把握することを目指す。検討対象となる政策課題は、国籍、移民・難民の受け入れ――特に、近年の「ボートピープル」に対する政策――、先住民族の権利、共和制移行、シティズンシップ教育、多文化主義、そしてナショナル・アイデンティティに関わるものである。
  
第一章 包摂と排除の境界――国籍/ボートピープル/強化される国境管理――
 第一章では、メンバーシップの線引きのしくみを支える包摂と排除の力学に注目する。
シティズンシップのポリティクスが、社会のメンバーとして誰が所属し、誰がしないのか、という問題において始まることを指摘したのはS.ホールとD.ヘルドである。文字通り「誰を所属させないのか」、という観点から政治論争が先鋭化したのが、1990年代末以降のボートピープルの受け入れをめぐってであった。他方、オーストラリアほど、政府が移民の国籍取得を熱心に奨励している国家も稀である。国籍取得に際しても、人種や民族、出身国等にかかわらず非差別的で平等の原則が確立されており、居住要件は2年間と短い。こうした、世界的に最も開かれているともいえる、包摂を象徴する国籍と、排除の力学を体現するボートピープルへの対応という、包摂と排除の際立ったコントラストの顕在化が、近年の同国で展開されているシティズンシップのポリティクスを特徴づけている。本章では、こうした対照的な二つの軸から、オーストラリアにおいてメンバーシップの範囲が決定される文脈、ならびに政策とそれを支える言説を明らかにする。
国籍概念の推移を見るならば、戦後移民の民族的・文化的多様化に呼応しつつ、かつての白豪主義に基づく排他的な概念から、文化的多様性に開かれたそれへと、確かに大きく変化してきた。しかし、それは「望ましい国民」の候補を選択する優先基準が、民族的・文化的要因から、オーストラリア経済に貢献する期待度へと移ったに過ぎないとみることもできる。新たな「国民」の候補は、何よりグローバル経済の中でオーストラリアが対抗し得る国際競争力の向上と国益にいかに資するのか、という観点から「厳選」されるのである。他方で、種々の領域において国家主権の相対化が進む今日、国境管理の強化は、国家が主権を回復、顕示するために残された数少ない手段の一つとなっている。しかも、国境管理の領域は、現代民主国家にありながら依然として民主化から取り残され、暴力の横行する「ワイルド・ゾーン(wild zone)」(S. Buck-Morss)としての様相を呈している。動乱の中東諸国から逃れてきたボートピープルは、物理的な国境ならびに国家主権を、さらには「西洋文明」を侵す「他者」として構築され、かれらの徹底的な排除が、あたかも国家主権を象徴的に発動するための政治的、軍事的パフォーマンスのごとく実行されるのである。
「ステイト(state)」という領土の境界は、最新鋭の軍隊やテクノロジーを惜しみなく投入することによって物理的に防護することは可能かもしれない。しかしながら、ボートピープル問題を契機に、9.11同時多発テロ事件の影響とも相俟って、アラブ系やイスラム系住民に対する中傷行為が増加している。特定の人々を選別的に排除するための国境の強化が、はからずも既に国境の内部にいる人々の間に緊張を生み出してしまうという逆説から、現代の多文化国家はもはや逃れることはできない。

第二章  先住民族の復権と共和制論議
――二つのポストコロニアルなシティズンシップのゆくえ――
次に、オーストラリアの植民地化という歴史的要因に最も強く規定されている二つの問題、すなわち先住民族の復権と共和制論議を取り上げる。「内なる植民化」を余儀なくされてきた先住民族による地位回復の要求運動と、英国君主を抱く立憲君主制を廃止して共和制への体制移行を目指す運動は、それぞれ次元が異なり、その意味や深刻さにおいて非対称的でありながらも、ポストコロニアルな問題としての共通性をそなえている。
先住民族の復権について、「アンビヴァレントなシティズンシップ」(T. Widders and G. Noble)、もしくは「両義的な(equivocal)シティズンシップ」(N. Pearson)という概念に着目しながら検討するならば、諸権利の獲得に伴う、しかし、しばしば不可視化されがちな深刻な諸側面が浮かび上がる。第一に、先住民族にとって、「内なる植民地化」から解放される上で不可欠な「国民(Citizen)」としての平等の権利は、かれらが「文明化」して白人社会に同化することのいわば「代償」、あるいは「報酬」として付与されたという側面である。同化、すなわち主流社会に包摂されることとは、先住民族としての文化的紐帯や家系の継承を断ち切ることと同義であり、そのために親子強制隔離などの過酷な措置の犠牲を余儀なくされた。第二に、こうした「代償」が、先住民族の復権における次なる展開、すなわち土地権・先住権の回復にとって大きな障害となっていることを見過ごすべきではない。なぜなら、これら固有の権利が承認されるための拠り所こそ、他ならぬ、国民としての平等の権利と引き換えに棄てさることを余儀なくされた、先住民族としての伝統的、文化的な実践だからである。しかも、伝統・文化の「真正性」を評価し、先住権承認の是非を決定する権限は、あくまで主流社会の側に委ねられる。さらに確認しておくべきは、「先住権」が先住民族の要求する権利概念をそのまま反映したものではなく、主流社会の価値観や制度と折り合う形で、ある種の意味の読み替えや変容を経て構築された概念であるという点である。そして、現行の先住権が、先住民族の中でも一部にしか認められない偏在した権利であるゆえに、先住権の獲得をめぐって先住民社会の分断や新たな権力闘争が引き起こされるという事態も生じている。こうした矛盾を考えるならば、果たして現在の「先住権」のあり方が真に文化的差異の尊重を志向しているといえるのか、疑問を抱かざるを得ない。
一方、90年代の初めに開始された共和制論議は、先住民族の復権を踏まえた新たなシティズンシップ概念を構築するための絶好の機会となる可能性を有していた。しかし、そうした議論は盛り上がらないまま、二つのポストコロニアルな課題が接合することなく、共和制移行自体も国民投票で否決されてしまった。鉱山開発や農牧業の利益を擁護するために政府によって先住権の後退さえ図られる中、先住民族と非先住民族が共有可能なポストコロニアルなシティズンシップ概念に向けた展望は未だ開かれていない。
第三章 多文化国家のシティズンシップ教育
――「デモクラシーの発見」が紡ぐナショナルな物語――
第三章では、シティズンシップ教育に焦点を当てる。オーストラリアでは1999年、「デモクラシーの発見(Discovering Democracy)」と称されるシティズンシップ教育のためのプログラムが、全国的に公教育のカリキュラムに導入された。学校教育の場でシティズンシップの意義をどのように教え、いかにして能動的なシティズン(active citizen)を育成するのかという課題は、90年代のオーストラリアにおけるシティズンシップ論争の主要課題の一つとなってきた。連邦政府の強力なイニシアチヴのもとで実施に至った「デモクラシーの発見」プログラムは、その政策的帰結である。オーストラリア連邦政府は国家プロジェクトとしてのシティズンシップ教育をどのように構想し、そこにおいて多文化的な視点や価値観はどこまで反映されているのであろうか。
 留意すべきは、同プログラムが「市民性」の教育と同時に、多文化オーストラリアのナショナル・アイデンティティをいわば「デモクラシーの物語」として再構築することによって「国民」意識の醸成を図るための、「国民教育」としての役割を強く担っていることである。また、学習の方法として「歴史」が重視されているために、未来志向というよりも、「歴史遺産的なシティズンシップ(heritage citizenship)」(S. Duschesne)を学ぶことに主眼が置かれている。とりわけ強調されるのは、シティズンシップやデモクラシーの西洋的起源や由来であり、圧倒的に西洋に偏重した歴史が学習されることになる。一方、先住民族に対するかつての不正義は、「歴史の安全なヴェール」の中で解決済みの問題として語られており、現在に引き継がれる問題を正面から取り上げることには慎重である。むしろかれらの権利獲得の軌跡は、主流社会の側の問題を問うことなく、先住民族が勝ち取った賞賛すべき「民主的な闘争(democratic struggle)」として、オーストラリアのデモクラシーの発展に彩りを添える歴史的な物語へと転化されてさえいる。さらに、多文化的な現実は、肯定的に受け入れるべきものというよりも、社会の統合を脅かし得る将来に向けての不安要因として語られる。
結局のところ「デモクラシーの発見」は、オーストラリアの西洋的伝統を再確認し、現在では米国とならんでデモクラシーを体現、擁護する国家イメージを提示する一方で、非西洋の他者や文化に排他的なナショナルな物語を紡ぎだしている。加えて本質的な問題として指摘すべきは、果たして「デモクラシー」とは「発見」されるべきものであろうか、という点である。それは、歴史的遺産の中に眠るものではなく、常に再構築、刷新を図っていく未来志向の動的なプロセスのはずである。

第四章 「小文字cのシティズンシップ」
――多文化主義批判と「シヴィック・ネイション」――
オーストラリアにおいて90年代にシティズンシップ論争が台頭していった一つの伏線として見逃すことができないのが、多文化主義に対する批判の先鋭化である。第四章では、多文化主義批判とシティズンシップとの関係に光を当てる。
90年代半ばといえば、折りしも多文化主義とシティズンシップの関係をどのように捉えるのかという議論が、世界的にアカデミズムを席巻するようになった時期と重なる。その契機となった「多文化シティズンシップ」(W. キムリッカ)の提唱は、差異化された権利の保障という観点から、両者の親和的な接続が可能であることを示した。他方、オーストラリア政府の重視するシティズンシップ概念は、多文化主義への不安感や批判に呼応しつつ、むしろ多文化主義の理念を損ない得るような方向性を有している。こうした、多文化主義とシティズンシップとの「不幸な出会い」は、何を意味しているのであろうか。 
多文化主義への批判は、しばしば、「マイノリティの権利の優遇」や、「社会統合が脅される」とする意見に代表されてきた。しかし、同政策の推移を追うならば、移民の持つ文化的資源の有効活用が一層奨励される一方で、権利擁護の面は徐々に後退してきていることがわかる。他方、社会統合への不安感は、多文化主義それ自体よりも、主としてその理念が含意する諸文化の共存という社会統合のビジョンへの違和感や、アングロ・ケルト系住民の優位がゆらぐことへの危機感、キーティング労働党時代の政治目標と結びついた「多文化主義ナショナリズム」への反発に根ざしている。  
さて、政府の諮問委員会によって提案された「小文字cのシティズンシップ」――大文字のCで表記される「国籍」とは区別された、より広義のオーストラリア社会のメンバーシップを意味する――の提案は、デモクラシーとそれを支えるシヴィックな価値を核とする社会凝集力の創出に最も重点を置いている。注目すべきは、そこで明示的に志向されているのが、アメリカ型の「普遍的」な理念に基づく統合モデルであるという点である。しかしながら、「普遍主義」を標榜する「シヴィック・ネイション」が、文化的な要素を無視してマイノリティの存在を隠蔽し、より巧妙に「疎外」を創出しかねない危険性については、すでに多くの論者によって言及されている。
他方、「小文字cのシティズンシップ」をめぐる議論において、権利概念への関心はきわめて希薄であることを指摘しなければならない。「差異化された権利」はおろか、多文化主義政策によって擁護、推進されてきた平等理念に基づく個人の基本的な諸権利さえ、明示的に擁護されてはいない。ここにおいて奇妙なことが起こっていることに気づく。それは、「デモクラシー」がナショナル・アイデンティティを支える言説として一層強調される一方で、そのデモクラシーを実践するための「権利」が軽視される、という現象である。

終 章
近年のアカデミズムにおけるシティズンシップ論議の隆盛には、多くの期待が託されてきた。たとえばS. カースルズとA. デヴィッドソンは、シティズンシップを問い直すことを通じて、「ネイション・ステイト」の「ネイション」の部分を解体し、「ネイション・ステイト」を柔軟で開かれた帰属に基づく民主的な「ステイト」に替えていくべきことを主張する。
さて、オーストラリアでは、国益に資する人材への要請が必然的に招いた結果として社会の多文化・多民族化が進むことによって、確かに特定の民族性に規定された「ネイション」はすでに有効性を失い、解体しつつある。しかしその一方で、開かれた柔軟な帰属に基づく「ステイト」が、これまでの「ネイション・ステイト」にとって替わろうとしているわけではない。本論文で示されたのは、民族性に替わって「デモクラシー」やシヴィックな理念が国家の統合原理として強調される一方で、そのことが決して文化的多様性に開かれた帰属を保障してはいないということである。むしろ既に進行しつつあるのは、「デモクラシー」を掲げつつ「普遍主義」を装った恣意的なネイションの再編であり、新たな線引きの強化である。ここにおいて注目すべき問題は、「デモクラシー」が西洋的な価値の優位を再確認し、それを共有しないとされる人々を排除するための言説として機能している点である。こうした「虚飾としてのデモクラシー」の台頭ともいうべき現象は、「デモクラシー」の大儀のもとに正当化される「対テロ戦争」という暴力的な線引きをはじめ、いまや世界的な潮流ともなっている。
国境線を含め、何らかの境界線を引くことから人は逃れることはできないかもしれない。ただし、杉田敦が述べるように、線引きによって何が排除されているのかを絶えず意識し、その線の妥当性を問い続けることはできる。それはまさしく、包摂と排除の線引きのロジックを提供するシティズンシップの構造と言説を、常に批判的に問い直し続けることではないであろうか。それは同時に、線引きがいかに非民主的な手段によって行われているのか、「デモクラシー」の名のもとに、いかに残酷な事態がもたらされているのかを直視し、「デモクラシー」という言説の「虚飾性」を問いただすことでもある。それを通じて、線引きがもたらす過酷な帰結を少しでも軽減することが、シティズンシップ論の優先課題として位置づけられねばならない。
その際に不可欠であるのが、シティズンシップの両義性を見据えた、複眼的なアプローチである。マイノリティの権利を擁護しつつ、進化論的な権利言説にとらわれない視点、シティズンシップの啓蒙主義的伝統を認めつつ、それを相対化する視点、そして「排他主義」がときに「普遍主義」の仮面を被っていることを見抜く視点をいかに確保し、練り上げていくのか――今後のシティズンシップ論が担っていくべき大きな課題である。

このページの一番上へ