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博士論文要旨

論文題目:中世民衆思想と法然浄土教 ―歴史に埋め込まれた親鸞像―
著者:亀山 純生 (KAMEYAMA, Sumio)
博士号取得年月日:2004年10月13日

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1. 本論文の課題意識と基本視角
 本論文は唯物論を理論的立場として、日本思想史における親鸞の思想と意義の方位を、特に歴史学的研究と哲学的研究の内在的媒介を通して、明らかにしようとする試みである。
 焦点は親鸞の思想にある。にもかかわらず本論文のメインタイトルを標記のようにしたのには、それなりの理由がある。筆者は親鸞の思想的研究に深く関係して、過去の時代の思想の思想的研究と歴史的研究、および思想史研究の関係に関して以下のような基本的疑問をもってきた。そして筆者なりにそれをどう解決するか模索してきたが、その結果得られた一つの基本方向が哲学的宗教論に裏打ちされた“歴史に埋め込まれた親鸞”像の再構成であった。そして、この像は、何よりも親鸞を法然浄土教と民衆思想との相互関係のうちに位置付けることによって初めて拓かれるものであるからである。
 第一に、筆者の永年の最大の疑問は親鸞研究における哲学的(宗教学的)研究と歴史学的研究の乖離、特に信仰論における両者のすれ違いであった。もとより親鸞の思想的特質は中世人親鸞の信仰と宗教的実践の中で形成されたものである。なのに中世人親鸞の思想の歴史学的研究は社会思想的意義やイデオロギー的意義を論ずるに止まり、親鸞・中世人における救済の人間的意味や信仰の内在的論理の追求が極めて希薄である。他方これの主題的追求を標榜する哲学的思想的研究はこれを超歴史的普遍的な宗教的真理として扱い、その歴史性を分析する視点が極めて希薄である。特に親鸞の救済の論理自体が中世の歴史的条件によって内在的に媒介されていることを見る視点は皆無に等しい。だが、中世人親鸞において一つであったものを分断する思想史的研究とは根本的欠陥をもつのでないか。
 第二に、この断裂の根底には哲学・宗教学や歴史学を含めて広く従来の思想・理論研究に対する近代主義の呪縛があるのではないか。それは一方で、宗教の普遍的在り方を想定し、それを歴史や社会生活と切断された地平における内面的自覚(内在的超越)に還元する近代の啓蒙主義的宗教観の呪縛である。他方では歴史を結局は社会科学的に抽出された階級闘争・社会関係論や社会構造論・変動論の地平から解釈し、思想を単にイデオロギーに還元する旧来型の史的唯物論の呪縛である。特に宗教の歴史社会的意義を専らイデオロギーと見なす図式の呪縛は、これを批判する立場を含めて深部に浸透していたが、これも近代主義宗教観のヴァリアントでしかなかった。だが、唯物論の新しい動向は旧来型の歴史法則主義や社会関係還元主義を批判して、身体的感性的経験の現実に定位して人間と社会をトータルに理解する地平を確立し、そこから宗教に関しても“生の実践”と見る視点を確立しつつある。この見地から従来の親鸞論の断裂をどう克服し、中世社会に生きた宗教者親鸞の全体像、新たな“歴史に埋め込まれた親鸞”像をどう再構成しうるか、が本論文の主題である。
 第三に、筆者はさらに素朴な疑問をいだいてきた。親鸞の信仰の逆説的論理、特に悪人正機論や但念仏論は現代人を魅してやまないが、同時にそれは極めて難解でもある。だが、中世の彼の同時代人、特に民衆にとって、彼の信仰はどこまで共有されえたのであろうか。それはもしかして現代人の近代主義的読み込みに過ぎないのか、そうでないとすれば中世人親鸞が現代人にも共感を呼ぶ“普遍的”な信仰論を展開しえたのはなぜか。その歴史的背景と根拠は何なのか、その“普遍”性の性格はいかなるものか。この疑問は、改めて彼の思想と民衆思想との関係を問題化し、さらに従来の親鸞研究の頂点的思想史の性格の根本的再検討を迫るものであった。
 言ってみれば自明のことだが、独創的思想や体系的思想はヘーゲルの言うような概念の自己運動として歴史に登場するわけではない。思想家自身と同時代人の生の問題、時代の課題の思想的解決を図る中で、先行思想の批判的組み替えや参照すべき過去の思想の主体的発掘を通して、生まれるものである。そしてそれは、抽象的普遍的思想のレベルでの自閉的営みからは決して生まれず、どこまでも生活思想や時代の社会的思想の反省を介してのみ生まれうる。このことは現代哲学・思想が直面しているのと基本的には変わらないはずである。であるなら、例えば浄土教の場合、単に源信、法然、親鸞と頂点的思想家の著作にのみ焦点を当てる思想史は転倒しているのでないか。それは結局思想史を、あたかも教理(概念)の必然的自己展開であるかのように叙述することに収斂するのでないか。むしろ、これら頂点的思想家の意義は中世人、特に民衆の生活思想の反省的表現、あるいは彼らの思想的自己表現の理論化にこそあるのでないか。だからこれら頂点的思想と民衆思想の間には乖離も矛盾も存在し、それが逆に思想史的意義をもつのでないか。
 この視点から第四に、親鸞の思想史的理解にとってさらに多様な疑問が生ずる。
近代人が評価する親鸞浄土教はほんとうに民衆的なのか。浄土教が民衆化した中世にあって真摯な民衆的浄土教思想家は無数にいたはずだが、彼らと親鸞とはそれほど差異があるのだろうか。あるとするならそれは何で、なぜなのか。民衆の自己表現として浄土教を見ると、民衆の生にとって何が最大の問題だったか、その場合法然浄土教の意義は何か、また法然と親鸞に有意の差はあるのだろうか。親鸞の罪悪感は民衆の罪悪感と同一なのか、罪悪感のリアリテイの基礎をなす社会的経験は何なのか。はたまた、親鸞自身の罪悪感は生涯同一であり続けたのか、青年親鸞のそれと晩年の老人親鸞のそれとは同じと見なしうるのか…・。いずれも、悪人正機説=但念仏論=易行の徹底=民衆的宗教の“完成”という通説の図式ではとても解けない。
 しかしこれらの疑問は第五に、生のレベルでの民衆思想・生活思想とは何か、直接史料や文献史料に乏しいそれはどんな方法で析出されるのか、という難問を誘発する。この難問ゆえに従来の民衆思想論は断片的で、民俗学的・深層心理学的析出に還元される傾向もあった。だが“民俗=神道”論や“基層文化”論に典型的なように、それは思想=外来=表層=歴史的な変化、民俗=土着=深層=超歴史的普遍という不毛な二元論図式を前提し、何より民衆生活は本来没思想と暗黙に前提する点で致命的問題を孕んでいる。むしろ、体系的思想の民衆的変容過程に注目し、“物語的再構成の方法”による民衆の“理念型的人物”の生活意識の析出を通してこそ、民衆の思想的自己表現を捉えうるのでないか。
 本論文は以上の視点から、中世という時代と民衆の思想的自己表現との緊張関係の中で浄土教全体と法然浄土教の関係をとらえ、それを通して親鸞の信仰・思想を改めて“歴史に埋め込まれた親鸞”のそれとしてトータルに見直そうとする試みである。そして、従来の親鸞の思想的評価の“過剰”を改めて“中世のフルイ”にかけて削ぎ落とし、それによって逆に親鸞の信仰・思想の固有の質を再照射しようと試みた。特に、近代人に共感を呼ぶ“内面的主体性”と中世の歴史的社会的批判性とが民衆の生の地平において不可分のものとして内在的に相互媒介されていることを、親鸞の自己悲嘆的信仰の論理の方から明らかにしようとした。と同時に、この内在的媒介性に親鸞の信仰・思想の独特の思想的“深さ”・“普遍性”の秘密があるとともに、まさにそれゆえに親鸞浄土教が民衆世界から乖離するという思想の歴史的逆説の秘密があることを明らかにしようとした。

2.本論文の構成と各章の位置
本論文の章節構成は次の通りである。

序章 中世浄土教の思想史的研究の基礎視角
  第一節 歴史的宗教の哲学的研究と歴史学的研究の媒介の意義
      ―――三木「親鸞」と服部「親鸞」の断裂と交錯
第二節  史的唯物論の宗教観の再検討
第三節  思想史の軸と民衆思想
第一章 法然浄土教の歴史的意義と課題
     ―――親鸞思想の“普遍”性の意味と歴史性の関係から
   第一節 親鸞思想の“近代性”と“普遍性”
  第二節 歴史の特殊性における思想の“普遍性”の意味
  第三節 法然浄土教の歴史的意義と課題―――正統派浄土教との対立から
第二章 正統派浄土教の民衆展開の方法と論理―――『沙石集』の歴史的位置と思想構造
第一節 『沙石集』の歴史的位置
第二節 民衆の目線が示す正統派浄土教と法然浄土教の対立点
第三節 「真の仏道者」論の現実態と民衆的意義
第四節 民衆にとっての『沙石集』の論理と専修念仏論の論理
第三章  武士の法然浄土教受容の論理と基礎
     ―――東国武士の生活思想の物語的再構成を通して
第一節 津戸三郎における浄土教信仰
―――東国武士の生活思想と信仰の物語的再構成の試み
第二節 熊谷直実(蓮生)における浄土教信仰
    ―――民衆の生活思想と法然浄土教の魅力
第四章 都市民衆と農民の浄土教受容の生活的基礎
    ―――悪人観の逆説的受容と悪行肯定の論理
第一節 悪人意識の逆説的受容の生活構造的基礎
    ―――民衆世界における臭穢空間の成立
第二節 浄土教受容による殺生=悪人観の浸透とその両義性
    ―――山野開発と殺生禁断思想
第五章 法然浄土教民衆化の直接的思想化
    ―――一遍浄土教の思想構造と思想史的意義
第一節 鎌倉仏教と一遍浄土教の思想史的意義
第二節 一遍浄土教の思想構造における大衆性
第三節 一遍浄土教の民衆性について
第六章 法然浄土教民衆化の批判的思想化
    ―――非僧非俗論の二重性に見る親鸞浄土教の思想構造と思想史的意義
第一節 親鸞の非僧非俗論の二重性
第二節 悪人正因論と愚禿論
第三節 非僧非俗論と信の内面性/社会性の内在的統一
終章 法然浄土教の理論的純化と民衆意識からの乖離
       ―――親鸞における信仰の“脱魔術化”の両義性と民衆的背景
第一節 親鸞の「自然法爾」理解と中世の「自然法爾」論
第二節 親鸞における信仰の内面化と社会的身体的行為の“脱魔術化”
第三節 結語にかえて

本論文の以上の構成は内容上、三部に分かたれる。第一部は、本論文が主題的に扱う中世浄土教を含めて歴史的な宗教思想に対する思想史的考察の方法論と理論的立場の検討である(序章、第一章)。第二部は、中世民衆に展開・浸透した浄土教思想の析出とその生活構造的基礎の分析である(第二章、第三章、第四章)。第三部は、中世民衆の浄土教思想に胚胎する思想的問題の浄土教的理論化・体系化の二方向とその思想史的意義の検討である(第五章、第六章、終章)。

3.思想史研究の方法論的検討と親鸞論への基礎視角(序章・第一章)
まず序章で、哲学者三木清の親鸞論とそれへの歴史学者服部之総の批判を取り上げ、親鸞の思想の哲学的・内面的解釈(宗教内在的解釈)と歴史学的・社会思想的解釈(宗教のイデオロギー的解釈)の媒介的統一の原理的可能性を検討した(第一節)。一般に歴史的な宗教思想の解釈において哲学的解釈と歴史学的解釈との方法的断裂は現代でも自明の如く維持されて思想史にとって深刻な隘路となっている。この断裂の克服・媒介的統一にとって、清沢満之・木下尚江以来、内面的親鸞論・社会的親鸞論の双方の流れの並行が最も明確な親鸞解釈に即して、しかも、主観的には共にこの二つの流れを内包しようとしている三木と服部の親鸞論を検討することがもっとも有意義であった。三木は、宗教の社会的側面をマルクス主義によって位置づけつつ、生の哲学・現象学的人間学の立場から独特の内面的親鸞論のフレームを提起した。服部は、三木が解明した親鸞の信仰の論理をそのまま前提としつつ、マルクス主義の立場から社会的親鸞論のフレームを対置していた。両者を検討した結果、歴史的な宗教思想・親鸞解釈の二つの方向が内在的に媒介されえない理論的根拠は、マルクス主義の宗教論の科学主義と近代主義にあることを明らかにした。そしてこの克服の方向として、唯物論の新しい視座から照射される“実践としての宗教”観の理論的意義を明らかにした(第二節)。この方向を歴史的思想に適用するためには、頂点的思想家自身の“実践としての宗教”だけでなく、何よりも民衆世界でのそれが重要となる。頂点的思想家の宗教・思想の独創性や意義は、民衆の“実践としての宗教”との相互関係の分析からこそ明らかにされるからである。だがそのためには、民衆の自己表現としての文化の視点と民衆の生活思想の析出が不可欠の課題となるが、中世民衆のそれは史料的制約もあって従来等閑視されがちであった。これに対して本論文では、独自の“物語的再構成”の方法を提起した(第三節)。
以上の全体を通して、親鸞解釈における哲学的研究と歴史学的研究、信仰の論理とその社会的意義の媒介的統一は、民衆の生活思想・“実践としての宗教”との緊張関係にある“歴史に埋め込まれた親鸞”像の解明のプロセスにおいて可能であることを展望した。
これを受けて第一章では、“歴史に埋め込まれた親鸞”像の解明の前提的考察として、親鸞の思想的特徴をなす、悪人自覚をテコとする個人主義(個の主体性)と平等主義が、法然浄土教の置かれた歴史的状況に由来することを、確認をした。
まず第一節では、近代の親鸞解釈の流れを概括して、親鸞における信仰の論理の意義とその社会的歴史的意義が、思想的質としては個人主義と平等主義に総括されることを確認した。そしてこの思想的質は、近代思想の単なる投影でなく、親鸞の信仰論の中核をなす「二種深信」論に根拠をもつことを確認した。しかし、この確認は、一面では個人主義と平等主義が近代市民社会を基礎として成立するという歴史学の“常識”と矛盾し、他方では筆者の思想史的視角と矛盾する親鸞思想の「(超歴史的)普遍性」を示すものであった。
そこで第二節で、社会構造に対する思想の発展(創造)の相対的独立性を思想史の方法として提起し、親鸞思想の「普遍性」の歴史的根拠づけを試みた守本順一郎と家永三郎の所説をめぐる議論を検討した。そこから守本はなお社会還元主義を脱せず、家永は超歴史的な人間本質論と偶然的天才論に陥っており、両者はともに独創的思想の登場における先行の(体系的)思想の母胎的意義を位置づけえていないことを明らかにした。さらに普遍性と歴史性の関係についての筆者の哲学的検討(『人間と価値』青木書店、1989年)に依拠して、親鸞思想の個人主義と平等主義は「歴史的普遍性」として位置づけられ、結果的に近代と共振可能性を持つに過ぎないこと、それゆえどこまでも親鸞の生きた歴史的状況から“歴史に埋め込まれた親鸞”において説明されるべきことを明らかにした。
これを受け第三節で、思想の独創性(「普遍性」)は時代の現実と既存の思想(体系)との矛盾の場であるイデオロギー対立を介して登場するとの視点から、親鸞に先行する法然浄土教の歴史的位置を、『興福寺奏状』等により法然教団弾圧の歴史的理由の宗教内在的分析から検討した。その結果、従来の哲学的宗教学的通説で法然の意義とされる易行(念仏)往生論・悪人往生論・民衆的浄土教の展開はむしろ天台・真言など中世の正統派浄土教の意義であり、法然浄土教は異端派として諸行往生論を否定する専修念仏論(諸仏崇拝・神祇信仰の宗教的否定)の提起に固有の意義があることを明らかにした。これにより、個人主義・平等主義を核心とする親鸞の思想的「普遍性」とその歴史的内実は正統派主導の中世民衆の浄土教信仰と法然浄土教の矛盾の解決過程から基礎づけうることを展望した。

4.民衆世界の浄土教思想とその生活構造論的基礎の分析(第二、三、四章)
 まず第二章では、正統派浄土教の圧倒的な民衆世界への展開の具体的様子を、中世説話の頂点をなす『沙石集』の分析を通して正統派の民衆布教の現場の論理から析出しようとした。『沙石集』は親鸞没後20年頃の成立だが一遍とほぼ同時代であり、法然・親鸞浄土教の思想的質の現実的基盤としての民衆世界での浄土教信仰の実態を映す鏡の位置にある。なぜなら、正統派浄土教と異端派浄土教のイデオロギー対立構造は基本的には中世を通して存在すること、『沙石集』はその構成・内容・著者の位置等から異端派との緊張関係の中での正統派浄土教の民衆布教の最前線の実態をリアルに示すとともに中世正統派仏教の民衆布教の“聖典”と扱われたからである。ここで『沙石集』の論理が『興福寺奏状』等の正統派の頂点的思想(諸行往生論)と対応していること、因果応報論をテコとする諸仏・神祇信仰による「現当二益」論として浄土教・念仏往生論が民衆の現世的生活欲求に深く根差し、勧善懲悪の“道理”と共に定着している具体的様相を明らかにした。
 第三章では、正統派によるこのような浄土教信仰の民衆世界への浸透の中で、異端的な法然浄土教がいかに受容されいかなる意義をもったのかを、二人の民衆的な下層武士の信仰の物語的再構成の方法によって析出した。第一節では、史料的制約から歴史学ではほとんど検討されなかった津戸三郎(尊願)を取り上げ、二次史料と伝承等を援用してそのライフヒストリーを物語的に再構成する過程を具体的に詳述した。これによって物語的再構成の方法による民衆生活思想の析出の具体例を示すとともに、開発小領主としての東国武士にとって浄土教信仰が“自己確証”の意義を持つ反面、まさにそれゆえに法然浄土教の専修念仏論の内包する神祇信仰の宗教的否定が“躓きの石”となる点を明らかにした。第二節では、別稿(「中世初期東国武士の生活意識と精神の再構成―――熊谷直実を中心に」『東京農工大学一般教育部紀要』第27巻、1991年)において同じく物語的に再構成した熊谷直実(蓮生)像を前提として、その思想・信仰が東国武士(鎌倉幕府草創期の下級御家人・開発小領主)の生活思想の理念型としての意義をもつという視点から、民衆にとっての法然浄土教の固有の意義と乖離点を析出した。その要点は、東国武士の自立と平等の精神が法然浄土教固有の平等往生論の受容基盤である反面、同じ精神構造が(実証の精神も関与して)諸行往生論(諸仏・神祇崇拝)に傾斜し法然浄土教から逸脱する基礎となっている点にあった。
第四章では、都市民衆・農民に焦点を当て、浄土教受容の実態を生活思想の視点から浮き彫りにし、その社会的基盤との連関を踏まえつつ社会的機能の面から浄土教思想の思想史的意義を明らかにした。第一節では、思想史の常識をなす民衆の悪人意識が浄土教受容の精神的基盤であるとの枠組みが逆立ちしており、都市民衆・農民の悪人意識はむしろ浄土教の受容とともに成立したことを生活構造論の視点から明らかにした。そして民衆の悪人意識受容の固有の内発的契機の重要ポイントが、糞尿と衛生・施肥技術問題から照射される都市民衆・農民の生活場の恒常的な臭穢空間化と、穢れの一時性から恒常性・全面性への転化(禊ぎ不可の“穢身”化)にあり、先行の穢れ=悪観念とリンクしたことを提起した。第二節では、仏教的倫理規範の典型である不殺生戒が浄土教とともに民衆の中に浸透する実態を自然と関わる民衆の活動場面で検討した。そこで、浄土教の民衆浸透過程で、天台本覚論の山川草木悉有仏性の論理を介して不殺生の対象が植物・虫・土地へ拡大し生命一般と普遍化されることにより、農民の悪人意識受容の生活構造的基盤が耕作・山林開発という固有の生業自体に直結することを明らかにした。と同時に、一方では同じ論理からなる正統派の仏国土形成論によって、他方では異端派の造悪無碍論によって、浄土教普及過程全体において開発・農業・漁猟が正当化され不殺生規範が空洞化・解体される論理を明らかにし、浄土教思想が“原理不在”の思想的伝統の基底を形成したことを展望した。

5.民衆生活思想の理論的体系化の2方向と親鸞の思想史的方位(第5章、6章、終章)
 本論文の第3部をなす最後の3章においては、上記の民衆世界の浄土教信仰に伏在する民衆生活思想が、民衆救済(ないし民衆本位主義)の立場からいかに理論化・頂点的思想化されるかを、特に異端派の浄土教教義の体系的展開の2つの方向として検討した。そこから第1部で析出した親鸞の思想的特徴を“歴史に埋め込まれた親鸞”のそれとして改めて位置づけなおすとともに、親鸞の思想的営為の思想史的意義を展望する方位を提起した。
 まず第5章では、従来思想家としては無視されてきた一遍浄土教を頂点主義批判の視点から思想史的に位置づけなおし、一遍浄土教が法然の専修念仏論の教義的展開過程における民衆生活の浄土教思想の“直接的理論化”の性格をもつことを明らかにした。そこでは、従来の哲学的宗教学的親鸞論が自明のごとく親鸞固有の質と見なしてきた専修念仏=易行の究極的徹底化、阿弥陀仏の絶対的超越化・名号本尊論、底辺的民衆の救済論・悪人正機説・平等往生論など法然浄土教の教義の民衆的展開の論点が、一遍浄土教においても確認されるだけでなくむしろ徹底していることを明らかにした。と同時に、諸仏・神祇信仰との融合する専修念仏論とヒエラルキー的往生論の2点において親鸞浄土教と決定的に異なること、その理由は一遍の民衆性の不徹底や体系的理論性の欠如にあるのでなく、むしろ第2部をなす各章で明らかにしてきた民衆生活レベルでの浄土教思想への直接的応答の結果であり、それ自身、天台本覚論を根底とする法然専修念仏論の教義的展開の一方の必然的極に位置することを提起した。
 これを受けて第6章では改めて親鸞浄土教の固有の思想的質を、正統派浄土教の悪人正機説および一遍浄土教の善悪平等往生論との対比で悪人正因説として析出し、その核心が悪人の自己悲嘆的自覚と諸仏・神祇信仰の宗教的否定の相乗的徹底にあることを明らかにした。そしてこの核心が、親鸞自身の生と信仰の内省と、歴史社会の現実直視(農民等の悲惨と抑圧関係の直観)と、専修念仏論の理論化・体系化が、三位一体となって相互媒介的に深化し悪人正因説として結晶化する過程で先鋭化していったことを明らかにした。
 これらのことは、従来の研究で親鸞思想の鍵とされながら内容上の矛盾錯綜が放置されてきた非僧非俗論に関して、親鸞の身体的生と信仰展開(“三願転入”)の過程の物語的再構成の視点から壮年期の禿の自称と晩年の愚禿の自称の位相の相違と悪人自覚の変化を鮮明にすることによって、新しい一貫した解釈を提起することから照射された。そしてこの解釈を通して以下の諸点を明らかにした。この深化構造の中で親鸞の悪人観は、正統派浄土教と法然・一遍らが共有する倫理的悪人概念から末法論を媒介とする普遍的悪人概念へ、さらに末世の真実たる弥陀の本願背反を内実とする実存的悪人概念へと劇的に展開したこと。この展開が僧―俗関係ないし正統派浄土教の下での寺院・支配層と農民等被抑圧層の宗教的価値関係を転倒させて専修念仏論を“逆階層往生論”に転化するとともに、実存的な称名念仏論によって造悪無碍論に陥ることを回避して、本願の下での絶対平等論を軸とする主体的な永久理想的共同体論へ展開したこと。これにより親鸞独自の創造的理論化の所産としての悪人正因説は、社会イデオロギー的意義と内省(主体形成)的意義の統一として機能したこと、その核心が最晩年の『愚禿悲嘆述懐』に端的に示される諸仏・神祇信仰の宗教的否定にあったこと。
 以上より、親鸞浄土教は法然浄土教・専修念仏論の民衆的展開の“批判的思想化”と位置づけられること、そして近代人の共感する親鸞思想の個人主義と平等主義、ないし主体思想的側面と社会解放的側面は、神祇信仰を核心とする中世浄土教のイデオロギー状況の理論的実践的批判ないし思想内在化を介してこそ、その具体的な歴史的実態において統一的に把握されうることを明らかにした。
 終章では、第2章から第6章までの検討全体の総括として、中世浄土教思想および民衆の生活思想にとって法然・親鸞浄土教のもった思想的意義と限界を、自然観の検討を通して対自然関係の側面から明らかにし、それが異端派に止まった歴史的理由を展望した。
そこでは、現代でも独特の日本的自然主義の思想的伝統の源流として注目される「自然法爾」の観念を取り上げ、通説的理解の如くこれを親鸞の他力論に結びつける根拠はなく、むしろ正統派浄土教に直結することを確認した。親鸞の他力論は正統派の「自然法爾」論の批判として展開され、自力否定は専ら往生の形而上的根拠としての阿弥陀仏の絶対化に限局した点に固有の意義がある。世俗的関係・対象的自然との関係の位相では、正統派が本覚論を背景として山野河海に顕現する神仏への服従を説くのに対し、親鸞は阿弥陀仏の内面的絶対化によってこれを脱魔術的に否定し、自然物に対する主体的・“合理的”振る舞いを思想化する論点を内包していた。このことは直接には専修念仏論の批判的理論化の所産だが(第6章)、第2~4章で明らかにしてきた民衆の生業に由来する“合理性”とも一面では同調していた。だが反面、同じく生業から由来する神祇信仰志向が親鸞浄土教が民衆から乖離する分岐点をなし、加えて法然・親鸞の神祇信仰批判の社会的基盤であった民衆の荘園体制(民衆囲い込み)への抵抗の弱体化が、これに拍車をかけた。以上から、親鸞浄土教の民衆思想に対する両義性が、親鸞固有の思想的質が民衆世界に定着しえなかった思想的要因であることを明らかにした。

6.本論文の到達と残された課題
以上の概要を改めて全体的に総括すると、本論文は、第一に、従来の親鸞思想の研究の原理的方法論的な反省を踏まえて、新しい唯物論の“実践としての宗教”の視点から中世浄土教を民衆の歴史的な“自己確証”運動としてとらえ返し、イデオロギー対立を介して浄土教の社会思想的意義を捉え返し、この両面の交錯過程に“歴史に埋め込まれた親鸞”の固有の思想を再構成した。第二に、この作業にとって方法的前提をなす民衆の生活思想を、独自の“物語的再構成の方法”により、思想系浄土教論としては事実上初めて具体的形象化を試み、神祇信仰と浄土教信仰をめぐる民衆の両義性を析出した。第三に、法然浄土教の展開を民衆の生活思想との緊張関係で分析することにより、従来思想史研究においてほとんど度外視されてきた一遍浄土教を法然浄土教の民衆的展開の一方の究極の類型と位置づけた。そしてこれと対比することにより、通説の親鸞評価の“過剰”を修正し、親鸞浄土教の固有の質を悪人正因論として照射し、それが法然浄土教の民衆展開のもう一方の異端的究極の類型であることを明確にした。第四に親鸞の悪人正因論は信仰の論理でありつつ社会批判の論理であることを愚禿論の成立過程を通して明らかにし、従来の親鸞研究が無媒介に評価してきた2方向(個の内面的自覚性と被抑圧民衆の解放性)はここで媒介的に統一されうることを展望した。と同時に、それは親鸞自身の生の過程で、教義・理論(専修念仏論)、身体的生の反省(悪人自覚)、社会的抑圧の現実認識(農民への自己同一化・末法史観)の相互媒介的深化によって成立し、それゆえ歴史的基礎と固有の歴史的内実をもつことを明確にした。これにより哲学的宗教学的親鸞研究と歴史学的親鸞研究の断裂は“歴史に埋め込まれた親鸞”像の再構成において媒介統一が可能なことを確認した。
しかし以上の諸点は本論文ではなお骨格の提示に止まり、なお埋めるべき空白と論点が多く残されている。特に、悪人正因論の親鸞思想体系全体における位置の内在的叙述、明恵等同時代の多様な浄土教論との比較による民衆と浄土教思想の交錯の実態の豊富化、さらに多様な方法による民衆生活思想再構成の立体的全体化、専修念仏系説話の分析によるその民衆受容の実態の一層の豊富化、そして思想史的な枠組み論としては、先行する最澄・空海らの平等成仏論以来の展開と中世仏教思想との異同・継承関係の整理等…。これらを今後の課題と確認して本論文要旨の締めくくりとしたい。          (了)

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