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博士論文審査要旨

論文題目:第二次世界大戦におけるアメリカの象徴天皇利用政策(起源・展開・影響)―ラインバーガー博士とグルー元駐日大使を中心に―
著者:佐瀬 隆夫 (SASE, Takao)
論文審査委員:中野 聡、貴堂 嘉之、吉田 裕、坂上 康博

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1 本論文の概要

 本論文は、象徴天皇制の一つの起源をアジア・太平洋戦争におけるアメリカの対日心理作戦に求め、対日心理作戦における天皇利用政策がグルー元駐日大使の活動などを通じて、アメリカ政府の戦争終結政策に一定の影響を及ぼし、日本政府によるポツダム宣言の受諾につながったことを明らかにしようとした論文である。また、心理作戦の中では、昭和天皇を軍部と対立した平和主義者として位置付けるプロパガンダが行なわれていたことに注目し、戦争指導への天皇の関与の実相についても分析をくわえている。本文だけでも、200頁を超える大作である。

2 本論文の成果と問題点

 本論文の成果としては、次の三点を指摘することができる。第一には、アメリカの対日心理作戦研究への貢献である。対日心理作戦に関しては、近年、急速に研究が進みつつあるが、本論文では従来あまり顧みられることのなかったアメリカ陸軍省軍事情報部心理戦争課に勤務したラインバーガー博士(政治学)が中心となって作成した「日本計画」に着目し、膨大な量のラインバーガー文書を丁寧に読み解きながら、「日本計画」の宣伝目的が、象徴天皇制のもとでの民主主義国家構想を日本国民に示唆することにあったこと、そして、それがアメリカの国益に基づいた冷静な天皇利用政策であったことを明らかにした。また、本論文でのラインバーガーに関する分析は極めて詳細なものであり、ラインバーガーの評伝としても価値を持つと言えるだろう。この「日本計画」は統合参謀本部によって承認されることはなかったが、心理戦関係者や戦時情報局(OWI)の活動に大きな影響を与えただけでなく、対日宥和派であるグルーの活動を通じてアメリカ政府の政策に影響を及ぼしていくことになる。
 第二には、ラインバーガーとグルーの関係を具体的に明らかにしたことである。開戦後、帰国したグルーは国務省顧問に就任し、天皇制の存続を日本政府と日本国民に保証することが戦争の早期終結につながるとする立場から、講演や出版活動を通じて、アメリカ国内における天皇に対する強硬な世論の緩和に力を注いだ。本論文は、この全米講演旅行を詳しく分析し、ラインバーガーが、戦時情報局の指示に基づきながら、グルーの全米講演旅行に全面的に協力し、彼の演説原稿をも執筆していたことを明らかにした。特に、この問題では、グルーへのアドバイスやグルーとのやりとりまで詳細に明らかにされており、本論文全体の白眉とも言うべき興味深い内容となっている。もちろん、二人はアメリカ政府の政策と矛盾しないことに常に配慮していたとはいえ、ラインバーガーの「日本計画」は、戦争末期に国務次官になるグルーという人物を介して、いわば、よみがえることになったのである。
以上のように、本論文には貴重な成果が認められる。しかし、問題点も少なくない。第一に、天皇制の存続をなんらかの形で保証するという対日宥和政策がアメリカ政府内にあることを、日本政府や軍部がどの程度認識していたのか、また、認識していたとしても、それが戦争終結という決定にどのような影響を及ぼしていたのか、という問題の掘り下げが不十分である。本論文では、ザカライアス米海軍大佐の対日ラジオ放送やそれが及ぼした影響は詳細に分析されているものの、ソ連の対日参戦や原爆投下の影響も含めて、この問題では未だ検討の余地が残されている。
第二には、天皇個人や天皇制の取り扱いをめぐるアメリカ政府内の路線対立の中での位置付けが不明確なことである。よく知られているように、ポツダム宣言の中に、天皇制の存続を保証する条項を盛り込もうとする動きがアメリカ政府の中にもあったが、結局、そうした条項は削除された。このような点を考慮に入れるならば、対日強硬派と対日宥和派との路線対立問題と関連づけながら、ラインバーガーやグルーの動きを分析するという視点をもう少し重視する必要があるだろう。
第三に、幅広い視野の中で問題を考えたいという意欲は評価するが、焦点を絞り込めていないという印象をうける。著名な外交官であるグルーの経歴に関する詳細な叙述、すでに多くの先行研究が存在する日米交渉や天皇の戦争責任問題に関する叙述などは、本論文にとって必要不可欠なものとは必ずしも言えず、むしろ論旨を追いづらくしているという印象をうける。
最後に、付言するならば、1929年生まれの申請者は、昭和天皇は敗戦の責任をとってなぜ退位しないのかという少年期の疑問を出発点として、ライフワークとして昭和天皇研究に取組んできた。その長年にわたる熱意と努力に敬意を表したい。

最終試験の結果の要旨

2016年2月10日

2016年1月21日、学位請求論文提出者・佐瀬隆夫氏の論文について、最終試験を行った。 本試験において、審査委員が、提出論文「第二次世界大戦におけるアメリカの象徴天皇利用政策(起源・展開・影響)―ラインバーガー博士とグルー元駐日大使を中心に―」に関する疑問点について、逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、佐瀬隆夫氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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