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博士論文審査要旨

論文題目:日教組婦人部産休代替法・育児休業法制定運動の考察―戦後日本における「男女平等の実現」をめぐって―
著者:跡部 千慧 (ATOBE, Chisato)
論文審査委員:木本 喜美子、林 大樹、木村 元、佐藤 文香

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1. 本論文の概要

 本論文は、女性運動史および教員運動史において必ず言及されるが、その内実が明らかにされていないだけでなく、その評価も論者によって大きく分かれている日教組婦人部による産休代替法制定運動と育児休業法制定運動を対象とし、日教組婦人部資料および当事者への聞き取り調査によるデータを用いて、これらの実現を導いた運動の組織化過程を解き明かした女性労働史研究である。

2. 本論文の成果と問題点
 
 本論文の成果は次の三点に集約することができる。
 第一に、日教組婦人部が追求した上記のふたつの法律の制定化については、女性の継続的就業を可能とする画期的なものであり、とりわけ育児休業法は専門職である教職員、保母(現保育士)、看護婦(現看護師)に限定的に実現したものであるとはいえ、1991年に制定された育児休業法の先駆けとして重要な位置を占めている。だが日教組婦人部がいかにしてこれに挑み、実現への道を模索していったのか、いかなる力関係のもとでその実現が可能になったのかについての詳細な検討はなされてこなかった。本論文がそこに着眼し、日教組婦人部のこの運動の足跡を明らかにしたことは、女性運動史および教員運動史研究において大きな意義をもつものである。とりわけ婦人部がかかわった両運動ともに、その着想・構想段階から運動方針化過程、および法制化要求過程に分け、1945年から1975年にわたるこれらの運動過程をフォローアップし、なぜ教員職において、女性労働者の結婚・出産後の継続就業が可能になったかを明らかにした点に、本論文の最大の成果があるといえる。
 第二に、育児休業要求運動については、論者によって評価が真っ向から分かれており、一方では母性保護運動として注目を集めるとともに、他方では継続的就業をめざした労働権運動だとする見解が当時の関係者から示されており、決着をみていない。本論文はこの運動過程を検討する際に、時代の制約性という問題を踏まえて、同時代の女性解放運動をリードし影響を与えた知識人の理論的動向、他団体とのかかわり、政党間の力関係等の多面的な視点からの分析を行って、時代状況に対応しながら女性の継続的就業の道を開拓した日教組婦人部の運動過程の再構成に成功している。これは、ともすれば二者択一的な性格づけをめぐる論議に陥りがちになることを回避するために到達した方法的視点として、高く評価することができる。
第三に、本論文が対象とする女性教員層に対して、戦後女性労働史研究の潮流においていまだ十分に解明されていない労働者像であることを意識し、鮮明な位置づけを与えている点に大きなメリットがあると判断することができる。本論文が焦点化している1960年代をはさむ時期の女性労働者像の解明は、製造業に従事していた教育年数が短い女性労働者と、その対極にある高学歴ホワイトカラー女性の動向が明らかにされており、前者は継続就業に傾き、後者は短期勤続後の主婦化へと動いた。これに対して同じ高学歴層である女性教員が、継続的就業を求めてその制度的基盤を切り拓こうとし、法制化を通じてこれを実現させていった過程を明らかにした本論文が、同時に、女性教員の当時の労働・生活の実態との対応関係を念頭に置きながら分析したことによって、戦後の女性労働史研究を深化させるために欠かすことができない女性教員像を提示した意義は大きいといえる。
以上の成果が認められるが、その一方で本論文にはいくつかの問題点が残されている。
第一に、本論文は日教組婦人部の原資料とインタビューデータを用いて、これらの運動の経緯と足跡を論じたものではあるが、なお日教組婦人部の組織構造や意志決定過程、さらには日教組内部の婦人部を含みこんでの対立関係や葛藤が、必ずしも十分に分析され尽くしていない点が惜しまれる。たとえば産休代替法制定において、産休代替教員が今日いうところの「非正規」労働者として低処遇にならざるをえなかった点を問題視した婦人部が、再三にわたってその打開の方途を模索したことが本論文によって明らかにされている。それにもかかわらず、日教組全体を巻き込むことができなかったのはなぜだったのかをめぐっては、男性教員の女性教員の問題に対する「無理解」があったとされているが、運動史の全体像を把握しようとすればより踏みこむ必要があるのではないか。こうした点を深めるためには、運動過程をとらえ出す方法論のいっそうの精緻化が今後の課題として残されているのではないか。
第二に、先述したように女性労働史研究における明確な位置づけを与えたことは本論文のメリットとして評価しうる点ではあるが、女性労働者一般には解消しきれない教育労働者の専門性という観点も欠かすことはできないだろう。日教組婦人部が継続的就業の実現に向けてかくも大きな運動を組んだエネルギーの源泉をより明確化するためには、個々の女性教員が担っていた教育実践が学校・学級という場で、さまざまな社会階層に属する子どもたちとその家族と地域に根ざしたかたちで行われていたことを踏まえて掘り下げることが必要であり、教育労働者の専門性という観点をくぐりぬけることによって、女性教員像はより鮮明なものになるのではないかと考えられる。
もとよりこうした問題点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、跡部千慧氏自身が自覚しているところであり、今後の研究において克服されていくことが十分に期待できるものと判断する。

最終試験の結果の要旨

2016年2月10日

2016年1月6日、学位請求論文提出者・跡部千慧氏の論文について、最終試験を行った。本試験において、審査委員が、提出論文「日教組婦人部産休代替法・育児休業法制定運動の考察―戦後日本における「男女平等の実現」をめぐって-―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、跡部千慧氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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