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博士論文審査要旨

論文題目:教育をめぐる学校・家庭・学校外における関係性の組みかえ-ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目して-
著者:布川 あゆみ (FUKAWA, Ayumi)
論文審査委員:中田 康彦、山田 哲也、太田 美幸、多田 治

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Ⅰ.本論文の概要
 布川あゆみ氏の学位請求論文「教育をめぐる学校・家庭・学校外における関係性の組みかえ-ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目して-」は、ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目しながら、教育をめぐって学校、家庭、学校外における関係がどのように組みかわるのかを論じた労作である。
 ドイツでは従来、学校、家庭、学校外(青少年援助)の三者が役割や責任を分担してきており、学校は半日(午前中)の授業によって知識伝達のみ行う「教授学校」として位置づけられてきた。ところが2003年以降、学校による教育的関与の拡大が議論され、半日学校から終日学校へと移行させる政策が展開する。それによって、三者の役割分担を前提に構築されてきたドイツの伝統的な教育の枠組みに変容が生じてきている、というのが本論の主張である。
 終日学校が必要とされるにいたった背景としては、これまで「家庭と仕事の両立支援」が中心的要因として位置づけられてきた。これに対し筆者は、必ずしも一つの要因によったわけではなく、社会の安定性を脅かすと考えられる少子化・学力低下・移民・貧困といた諸要因が可視化される中で、家庭への介入を強める土壌が形成され、家庭の役割を補完するために学校の守備範囲を広げる必要性が議論されるようになったという。
 もっともこうした議論の展開は一様ではなく、連邦国家であるドイツでは州ごとに政策展開も多様である。そこで学力をめぐる階層格差が大きいバイエルン、ベルリン、ブレーメン州において終日学校政策がどのように受け止められ、展開されたかを検討し、半日学校から終日学校への移行について、学校における午後の活動に参加するかどうかを児童・生徒(家庭)にゆだねる「参加自由型」と、該当校に在籍する児童・生徒全員に参加を義務づける「全員参加義務づけ型」の二つのアプローチの比較を行った。
 三州における政策動向と議論の整理をふまえ、筆者が調査分析の対象としたのは、移民家庭の増加や学力低下、貧困の深刻化が著しく、終日学校化を推進する勢力が育ってきたブレーメン州である。
 筆者は、終日学校政策とそれをめぐる議論の中に、学校・家庭・学校外の関係性のゆらぎをみてとるが、それが実際にはどのようにあらわれているのか、関係性の揺らぎにはアクター間でずれがないのか、そもそも三者関係を担うとされている「学校」「家庭」「学校外」はひとくくりにできるアクターとして成立しているのか、という問いをたてる。そして具体的な調査対象として、経済的に豊かで家庭教育に独自性を強くもった家庭の児童・生徒が多い学校と、困難を抱える移民の家庭の児童・生徒が多い学校を選定し、学校や家庭の役割、三者の境界のゆらぎの出方の違いを確認している。
家庭教育に独自性を強くもつ家庭の児童・生徒が多い学校では、終日学校化とは、生活という概念が学校にとりこまれ、家庭に付与されてきた「習慣化」「養育」といった役割を学校が包摂することだとみなされていた。三者の境界があいまいになることによって、家庭の格差が学校にも直接反映されるという可能性が生まれることを筆者は指摘している。
これに対し、困難を抱える家庭の児童・生徒が多い学校では、終日学校化は家庭に代わって価値や規範・生活習慣を児童生徒に獲得させる役割を学校に付与するものだとされているが、三者間での役割分担自体がゆらいでいるわけではない。家庭自体が立て直すべき対象として認識されている一方で、学校による家庭への介入については消極的であり、学校外のアクターとして家族援助者という福祉の領域が登場することとなっている。
 こうした分析作業から浮かび上がるのは、教育アクターとして機能していない「弱い家庭」の多様性と、それを解決すべき社会問題として位置づけるまなざしである。
 本論文は、終日学校政策が個々の教育場面でひきとられる中で、家庭というアクターの多様性が無視しえないものであり、ドイツにおける教育の特徴であるとされてきた学校・家庭・学校外といった三者の伝統的な役割分担の維持が困難であることを明らかにした。と同時に、それぞれのアクターの単一性や自律性を前提としてきたドイツの伝統的な教育学の枠組みを再考する必要性を指摘するものである。

Ⅱ.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果としては、家庭環境の異なる学校における実証を通じ、家庭というアクター内に存在する多様性が、児童・生徒の教育をとりまくアクターの役割分担や関係性に変化を促す政策の受容にどのような違いをうみだすかを記述し、アクターやその関係性の再編パターンに違いが生み出される構造を説得的に分析したことがあげられる。家庭間の階層格差が学校との距離関係に違いをもたらすことは従来からも指摘されていたものの、学校・家庭・学校外の役割分担と境界が明確とされてきたドイツにおいてそれを実証し、三者の関係性は終日化によって一義的に決まるわけではなく、領域個別性があいまい化されたうえで、アクターのありよう、とりわけ家庭状況に応じて新たな役割分担が定まってくることを示した。
 第二の成果としては、終日学校政策をめぐる議論と政策の展開過程を明らかにした点である。終日学校政策をめぐっては、三者の関係性、とりわけ家庭と学校の役割分担のゆらぎの発生可能性と是非が議論されてきた。本論文は、終日学校政策は学力格差是正を中心的契機の一つとしつつも、実際には「教授学校」としての能力「陶冶」を強化する方向に働いているわけではないことを明らかにした。また、終日化に伴う学校の守備範囲の拡大については、家庭の機能を学校が包摂して家庭に代わる場になろうとしているわけではないことも、本論文が指摘する興味深い知見である。
 第三の成果としては、ドイツ教育学の伝統的な概念を再検討する参照点を提供したことがあげられる。ドイツでは教育をめぐるアクターとして、学校・家庭・青少年援助が想定されており、それぞれが担う「教授」「養育」「保護・相談」といった役割は完全に分業されるものと考えられてきた。終日学校政策においても理念的にはこの役割分業に基づく協働が前提とされていたが、生活の場として学校が位置づけられる中で、地域・家庭の特徴に応じた関係性の組みかえが生じている。現実社会で社会的機能をアクター間にどう配分するかという問題ではなく、教育をめぐる諸要素の領域個別性の区分を前提として構築されてきた説明概念を再検討する必要性が生じている、というのが筆者の指摘である。
以上の成果をあげたものの、問題点と課題が指摘できないわけではない。
まず、第三の成果としてあげた点は、本論文の弱点とも関連している。領域個別性を見直すことが要請されているという指摘は妥当であるが、ドイツ教育学において内在的に生じている議論やドイツの三分岐型教育制度に及ぼす影響への言及は少なく、終日学校政策が教育学理論や学校教育制度全体に及ぼした影響について十分に説明されたとは言いがたい。さらに、本論文の題目で用いられ、論文中でも頻出する「関係性」「関係性の組みかえ」といった概念についてもさらなる議論整理と精緻化が必要であろう。
 第二に、調査対象が行政関係者および学校関係者に限定されたことにより、諸アクターの関係性の揺らぎを各アクターがどのように受け止めているのか、そこにいかなるずれが生じているのかを明らかにするにあたって、家庭というアクターおよび青少年援助や福祉に関わっている学校外というアクターについてのデータを十分に収集できず、「関係性の組みかえ」の内実を明確には捉えきれなかった点があげられる。調査上の制約によるものではあるが、何らかの工夫によってデータの不足を補強することができていれば、ドイツの社会と教育に生じている変化をより具体的に見通すことができたのではないかと思われる。
第三に、半日学校から終日学校への移行に伴う、子どもの午後の時間をめぐる「奪い合い」という側面について、より具体的に説明がほしかった点である。家庭教育の独自性が強いところでは、家庭の側でも終日学校政策が一定の緊張感をもって受け止めていることが本論文で明らかにされているが、伝統的な規範を強くもつ家庭が午後の時間のあり方についてどう向き合おうとしているかが詳細に描かれると、諸アクターの役割の多層化の実相がより明確になるであろう。
もっとも、これらの問題点ならびに課題は、論文が全体として提示する成果の学術的価 値を大きく損ねるものではない。また、筆者も問題点を強く自覚し今後の研究の課題としているところである。さらなる研究の進展を期待したい。

Ⅲ. 結論
審査委員一同は、上記の評価にもとづき、本論文が当該分野の研究に寄与すること大なるものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2016年2月10日

2016 年 1 月 14日学位請求論文提出者布川あゆみ氏の論文について、最終試験を実施した。 試験において審査委員が、提出論文「教育をめぐる学校・家庭・学校外における関係性の組みかえ-ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目して-」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、布川あゆみ氏はいずれも適切な説明を与えた。よって、審査委員一同は、布川あゆみ氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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