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博士論文審査要旨

論文題目:ケニア海岸地方の一地域における秩序をめぐる実践と語り
著者:浜本 満 (Hamamoto, Mitsuru)
論文審査委員:長島信弘、落合一泰、足羽与志子

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本論文は4部、13章、344頁からなる大作で、しかも儀礼、妖術、憑依から成る3部作の「その1」ということである。研究の対象は、ケニアのコースト・プロヴィンス、クワレ・ディストリクトの一地域に住むドゥルマの人々が「屋敷」の維持と修復をめぐって行っている儀礼的実践とそれについての知識出あり、資料は浜本氏がフィールドワークによって得たものを中心としている。

  本論文の構成は以下の通りである。

 序章                            i - xi
 第一部
  第一章  フィールドの概要                1 - 23
  第二章  秩序の位相                  24 - 40
 第二部  儀礼という問題系                   41
  第三章  寡婦を「巣立ち」させる方法:
        儀礼をめぐる二つの問題系           42 - 60
  第四章  ウィトゲンシュタインの儀礼論         61 - 75
  第五章  妻を「引き抜く」方法:諸関係の配置      76 - 94
 第三部  秩序の語り方
  第六章  人をとらえる規則               95 - 110
  第七章  屋敷の壊し方(1):
        屋敷を「まぜこぜにする」方法        111 - 136
  第八章  屋敷の壊し方(2):「追い越す、後ろに戻る」 137 - 157
  第九章  屋敷の成り立たせ方:子供を「産む」方法    158 - 198
  第十章  「外」の想像力:子供を「外に出す」方法    159 - 232
 第四部                             233
  第十一章 出来事と因果性                234 - 253
  第十二章 正しさの問題:「悪い死」の冷やし方      254 - 281
  第十三章 結語:時間と規約性              282-300
 註                            301 - 304
 参考文献                         305 - 333

概要

第一部  民族誌的作業が遂行される二つのコンテキストが示される。
 第一章 調査地の概要と、生活の舞台である「屋敷」と、その観念を概観する。
 第二章 人類学におけるコスモロジー研究を批判的に検討し、生の営みに内蔵された体系性と、それを可視化する語り口の問題とすることが課題だとする。

第二部  恣意性=規約性と、有縁性を儀礼における二つの問題系として提示する。
 第三章 儀礼論の先行研究の批判の上に、儀礼的実践を主題化する際の問題の所在を、実践内部の恣意性=規約性と、それをとりまく象徴的な動機付けの網の目の存在(有縁性)の二つとする。
 第四章 ウィトゲンシュタインが、フレイザーの儀礼論批判において、既にこの二つの問題に焦点を与えていたことを検証する。
 第五章 水がめを夫が動かすことは、妻を「引き抜く」ことで、妻に死をもたらす行為として禁止されている。それはなぜかを検討することにより、諸慣行の意味論的な網状組織(有縁性)と、秩序についての比喩的な語り口とが、恣意的=規約的な関係によって接合されているというモデルを提出する。

第三部 民族誌的記述・分析を主体とする。
 第六章 「ドゥルマのやりかた」として知られる一連の規則を破ると、さまざまな災厄に見舞われると考えられている。違反と災厄と結びつきが属している秩序の性格について考察している。「ある恣意的な秩序を現実として生きるということが、ある構造的な比喩的語り口に絡めとられていることである、ということの意味が示されるはずである。(浜本;「要旨」)
 第七章 「まぜこぜ」という構造的比喩で語られる性的禁止の領域が、「近親相姦」という概念とは共約不能な語り口によって編成されていることを示す。
 第八章 「追い越す」「後ろに戻る」といった屋敷内部の序列をめぐる比喩的な語り口が、また、健康と豊饒性の問題につながる語り口ともなることを示す。
 第九章 人や物を屋敷に編入する「産む」という行為と、夫の死を「投げ捨てる」という行為をめぐるさまざまな語り口が、屋敷の内部と、危険と混沌によって特徴づけられる外部との境界をいかに可視化しているかを示す。
 第十章 「産む」行為の失敗に対処する操作である「外に出す」という観念について検討している。屋敷内の秩序を描く比喩的語り口の中に、秩序そのものを否定しようとする想像力が宿っていると指摘する。

第四部  儀礼的実践とその知識が持つ時間との絡み合いの中での不確定性、恣意的秩序の偶然的な変異への服従を描く。
 第十一章 規則への違背が災いをもたらすという因果関係の主張が、未来は不確定であるために現在の意味が決定不能であるような、実践の条件との関係でいかなる意味を持っているかを明らかにする。
 第十二章 「ドゥルマのやりかた」の知識自体にひそむ不確定性と、その実践上の曖昧性を、「悪い死」の処理の事例によって考察する。知識の不確かさの故に決定不能な状況に陥った状況の中で、人々がどのようにそれぞれの知識をすりあわせて「正しいやり方」の知識に到達するのか、またそれが現実にどのように実施されるのかを検討する。浜本氏は、このような正しいやり方の決定の仕方自体をパラドクスとみなし、知識の生産と流通を「伝言ゲーム」のモデルでとらえ直して、比喩的な秩序を生きるということはこうしたパラドクスを繰り返し生きることに他ならないとまとめている。
 第十三章 全体議論の要約に加えて、一連の考察の帰結が、ソシュールが言語の中に見いだした二重性との関係において再考察される。恣意的な体系のもつ自己完結性、自閉性、変化不可能性の相貌と、現実の予測不可能な可変性との間の一見上の矛盾が、恣意的な体系の本質に根ざしたものであると結論する。

評価

  本論文は従来の「人類学者の意味への幻想」批判に始まる。それは、「体系性」「組織性」を目指すあまりに一貫した意味を求めすぎ、それが「行為一般のモデルの位置を占めてしまい、理論的な知に人間の経験する現実の究極的な根拠のような位置が与えられてしまう」ことへの批判である。浜本氏は、これに対し、「私は、むしろ究極的な無根拠性をそれに対置させるだろう」と述べる。

  そこで浜本氏が焦点を合わせるのは「特定の行為とそのきまった{やりかた}とのこの唐突な結合の恣意性=無根拠性の問題」である。そして、儀礼行為の恣意性の検証を通して、人の生きる秩序の根元的な無根拠性の解明へと向かい、次のような明快な理解を提示する。

 「儀礼という実践は次の三つの要素の脆く危うい結びつきである。
  1、秩序についての比喩的な語り口の存在
  2、それを構成する一連の比喩が具体的な行為の水準に接合するさいの規約性=恣意性
  3、その恣意性を部分的にせいげんするかのように張り巡らされた有縁性=動機付けの網状組織

この三つの要素が結びついた実践については、「私が・・・注目してきた秩序は、きわめて特異な性格を持った秩序である。それは比喩的な語り口を通じて提示され、秩序の内部の論理性は比喩的な論理性であることが判明する。それを具体的な実行行為に結びつける絆は恣意的である。そしてその隙間に動機付けの網の目が張り巡らされている」と説明する。

  言い換えれば、「比喩によってしか語り得ない自体や行為が作り出され」「生きる者にとっては根拠を問えない必然性として経験され」る。「リアリティーとして生きるというのは、多かれ少なかれこういうこと」だから、「前もってしても、事後的にも説明不可能なところがある」という。

  このような哲学的認識にかかわる諸問題については、人類学ではミシェル・レリスなどを参照しつつ、身体性や闇の概念を手がかりに乗り越えようとする努力が久しくなされてきた。浜本氏は、トートロジーに陥ること意識したうえで、「恣意性」の認識に論理的整合性を与え、民族誌記述・分析の方法論として用いて見事な成果を上げた。その意味において本論文は、人類学に新たな方向性を示したと高く評価できる。

  また、「秩序をめぐる実践と語り」という副題は、ドゥルマの「実践と語り」だけではなく、浜本氏の「実践と語り」をも意味しており、本論文の記述と分析その内容の豊かさと共に、この二重性の認識において今日の社会人類学に新たな視点を導入しており、この点でも高く評価できる。

  しかしながら本論文には審査員一同がさらに改良すべきだと考える点が少なからずあるので、主なものを以下に挙げる。

 第一に、「接合」、「実践」、「語り」といった多用されるキーワードについて定義がなされていないため、筆者の意を十分に理解しにくい場合がある。

 第二に、先行研究の批判には、断定的否定が多く、その根拠がかならずしも明らかではないことがある。また、儀礼は「行うことに意味がある」ことを強調したパフォーマンス論と、本論文との関連についても述べられていない。

 第三に、儀礼を巡る論理の構築において、浜本氏がわれわれになじみのある「わかりやすい喩え」(例:10階から飛び降りる)で説明する手法を多用していることは、かえって理解の妨げになっている。比喩と民族誌的現実との対応関係が自明でなく、過剰なまでの単純化ではないかという疑問が残るからである(例:伝言ゲームモデル)。

 第四に、人々の実践のリアリティーを「複雑なパターンとして描く」としながらも、それがいかなるものかについては具体的に明示されていないのは残念である。

 第五に、「語り口」に焦点を当てたことから来る制約として、言語学理論への依存度が高く、そのため、より複雑なリアリティーへの接近が妨げられているように見える。関連して、「唐突な」「接合の恣意性」が「説明不可能」であるならば、浜本氏の「理解不能性」はいかなる位置を与えられているのかが明確にされていない。3、4部の優れた記述と分析により、全てに明確な輪郭が与えらる結果になっており、「説明不可能」なことまでも説明されているという逆説が見られるようにも思えるのである。

  このような欠点にもかかわらず、本論文はその構想においても、理論構築においても、民族誌記述としても、人類学の水準を高める貢献は非常に大きく、学位論文として優れた作品であると審査員一同判定した。

最終試験の結果の要旨

2000年2月29日

  2000年(平成12年)2月10日、学位論文提出者浜本満氏の試験および学力認定試験を行った。試験においては、提出論文「秩序の方法:ケニア海岸地方の一地域における秩序をめぐる実践と語り」に基づき、審査員から疑問点について逐一説明を求めたのに対し、浜本満氏はいずれも十分な説明を与えた。
  また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語及び専攻学術に関する学力認定においても、浜本満氏は十分な学力を持つことを立証した。
  以上により、審査員一同は浜本満氏が学位を授与されるのに必要な研究業績及び学力を有することを認定した。

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