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博士論文審査要旨

論文題目:変革期ベトナムの教育:その実践と歴史的展開
著者:ヴィ・ティ・ミン・チ (Vi Thi Minh Chi)
論文審査委員:関啓子、木村元、田中宏

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1 論文の構成

本論文の構成はつぎの通りである。

序論 ベトナム教育の現状と研究課題
1  課題意義
2  先行研究の状況と問題点
3  研究の展開 研究視点
第一部 現代教育の出発点
第一章 伝統的封建主義教育
1  封建時代の教育
2  封建主義教育思想
第二章 近代的植民地主義教育
1  植民地主義教育の形成過程
2  植民地主義教育制度の体系
3  植民地教育の特質
4  社会への影響
第三章 文化綱領にみる現代教育の基本方針
1  文化綱領の背景
2  文化綱領の内容
3  文化綱領の歴史的限界
4  文化綱領にみる現代教育の基本方針
第二部 現代教育の展開過程
第四章 ベトナム民主共和国の教育理念
1  ベトナム民主共和国の登場という社会変動
2  ベトナム民主共和国の教育理念
3  教育における「民族化、大衆化、科学化」の原則
第五章 新しい教育の社会への登場と浸透
1  成人教育
2  学校教育
第三部 現代教育の問題
第六章 ベトナムにおける社会変化と教育発展一教育の非連続と連続
1  伝統・近代教育の遺産
2  現代教育と社会変化への影響
3  伝統・近代教育と現代教育との比較
第七章 ベトナムにおける現代教育の問題
1  教育問題の顕著化した1980年代教育改革
2  ベトナムにおける現代教育の問題
結論
参考文献
インタビュー調査の概要

2  本論文の課題と概要

 これまでのベトナム教育史の研究は、植民地教育を批判し、現代教育を美化するというもので、その際、植民地教育と現代教育との非連続が強調されるのが常であった。筆者は、現代の教育問題を深刻なものととらえるゆえに、過去の教育史に遡及してその問題の原因の深部を析出しようとする。

 本論の主な課題は、1945-1980年代までのベトナムの教育の展開過程を考察することであるが、上述の問題意識にもとづき筆者はベトナム教育史を封建時代の教育と植民地教育さらには現代の教育という三段階に大別して検討する。その段階ごとの特徴と次段階への移行がどのような特徴をもってなされ、どのような異質なものが折り込まれ、どのような遺産が底流として意識的あるいは無意識的に引き継がれていったかを丁寧に読み取ろうというのである。

 現代教育の展開過程を客観的に見直し、教育改革の失敗原因や混迷状況の原因を探っていくわけであるが、その際、筆者は教育システムを成立させている諸要素(教育法令、教育施設、カリキュラム、教科書、教師、子どもなど)とその総体および各要素の結び付き方に注目する。政府の教育イデオロギーとそれの具体化政策、それに対する人々のむきあい方、相互作用、孕まれる矛盾と葛藤などを読み解くというのが筆者の課題意識である。制度史だけではなく、民衆の生活世界をも視野に入れて、現代教育の問題点の診断と治療法の模索に役立つ研究が目指される。本論文では歴史研究が中心であるが、教育の問題状況の源を分析するために一部分比較研究も取り入れられている。

 第一章ではベトナムの植民地期以前の伝統的封建時代の教育が概括された。11世紀後半、李朝下で文廟が創設され、官吏養成を目的とした科挙が制度化されると同時に文廟のなかに国子鑑が設けられ科挙への準備機関が配置された。さらに14世紀末には科挙のための選抜機関(「郷校」)が各府に設けられ、科挙が全国レベルで組織化されたことに注目がなされている。ファン・ボイ・チャウ、ファン・チュ・チンなど19世紀後半から20世紀初頭を代表する知識人はいずれも西洋文化の接収が間接的断片的なものにとどまったとされているが、その要因として科挙制度の影響が色濃くあったことが指摘された。

 第二章では 二段階(1906年と17年)で整備された近代的植民地主義教育の形成過程を対象とした。植民地主義教育改革の特徴を、そこでの制度的変遷、教育目標、カリキュラム、教科書、教授法更に学校生活などを検討することで明らかにしている。特に教師や生徒として学校を経験した当事者へのインタビュー調査を踏まえて、教師の質、教授法のありようなどその実態に迫ろうとした。それを通して支配的イデオロギー教化という側面からの抑圧的な場面を強調していたこれまでの植民地下の教育の像に解消されない積極的な受け取りがなされている事実を指摘している。また、そうしたなかでの知性の育成が植民地主義への疑問を高める役割も果たしたとしている。

 第三章では現代の教育の理論的起点として1943年のベトナム文化綱領をとらえ、その背景並びに内容の検討を行っている。ベトナムの解放という課題のもと「民衆化、民族化、科学化」という文化の発展の原則が示された綱領の精神は今日にまで貫かれるものとして捉えられている。この綱領は大きな役割を果たしたとされるが、なかでもそれによる非識字の一掃に注目し、外国語として扱われたベトナム語が教授言語として明示された意義を指摘する。一方でそこで示された自民族中心主義が閉鎖的な思想傾向を導いたり、経済的基盤の強調が経済優位主義につながったとも位置づけている。

 1945年8月、日本のポツダム宣言受諾によって、ベトナムは日本とフランスの二重支配から解放されたが、やがてフランスの「復帰」、さらにはアメリカの「介入」という新しい困難に直面した。第4章及び第5章は、ベトナム民主共和国がこうした困難のなかで、どのような教育理念のもと、どのように教育を展開していったかを扱っている。

 その教育理念として、教授言語のベトナム語化などの「民族化」、教育の万人への普及などの「民衆化」、教育と労働、理論と実践の結合などの「科学化」の三本柱が掲げられた。そして、その新しい教育理念は、植民地教育の払拭という強い意志に支配され、労働教育、集団主義教育、そして自民族中心主義教育が行われたと指摘している。また、新理念のもとでは、教育が人々の権利であるということと、国家の課題達成の手段という二つの機能を有していたが、実際には「教化」を重視する後者の機能に傾斜し、思想的政治的道徳教育をきわめて重視していたと分析している。

 道徳教育を重視した点は封建時代と近似している面を有するが、ベトナム民主共和国体制では、侵略者との戦いの中で、国民個人と政府のねらいとが自国の独立確保という課題で一致していたため矛盾が表面化しなかった。しかし、戦争が終り、社会統合の強い拠り所が崩れ始めると、個人の集団への埋没、絶対的な犠牲や服従のもつ問題点が浮かびあがってくるという。人間が独立の主体として生きることを助成する行為が教育であるとすれば、当時のベトナムの教育理念は、個人が集団に融合する従属的な性格を助成することになると批判的な指摘を加えている。

 第5章では、新教育理念が現場でどのように展開されたかを、成人教育及び学校教育について検証している。ホー・チ・ミンは、1945年9月、「非識字一掃アピール」を発表し、「1年以内にすべてのベトナム人は、クォックグー文字を知らなければならない」とした。ベトナム文字は「ホーおじさんの字」と呼ばれ、1958年には12歳から50歳までの93%が識字者となったという。

 1948年には、「識字運動を引き続き推進し、さらに普通学校レベルの知識を教える大衆学務にせまる」という成人教育政策が打ち出され、大衆学務庁によってさまざまなカリキュラムが制定され、「文化補習」(文化水準を高めるための補足的な学習)が展開されたが、民衆の反応は識字運動ほど積極的ではなかった。成人教育の課題の一つが幹部の不足を早急に充足することでもあったため、それが立身出世の方便として利用されたと指摘している。

 また、学校教育でも量的拡大は急速に進められるが、戦時下ということもあって「半日学習、半日労働」運動を余儀なくされた。政府は、マルクス主義の導入による国民統合を促進しながら、戦争の有利な展開と勝利のために必要な人材を養成することをめざした。

 普通学校、専門学校、高等教育における就学者も急増し、教育機会の不平等の克服、子どもの学習権の確保など表面的な発展の深部にどのような問題が潜在しているかを、教師、親の反応や知識人の反発など従来見落とされていたことによって明らかにし、第3部につなげている。

 第六章で筆者は、植民地化前の封建時代の教育及び植民地教育と、現代教育との比較を試みる。筆書はそれぞれの教育が人々のなかに教育や学習へのどのような意識を育て、どのような教育スタイルを当たり前のものとしたかを考察する。続いて、現代教育の成果、たとえば、教育の速やかな量的拡大などが、さまざまなデータを用いて立体的に説明され、地域差や男女差、階層差およびそれらの変化もおさえつつ、教育の量的拡大の成果と残された課題が析出される。以上をふまえて、伝統・近代教育と現代教育との比較が行われる。まず、教授言語が比較され、それがようやくベトナム語となった経緯が説明され、加えて、エリート教育にかわる民主主義教育の登場や、教育と労働の結合によるカリキュラム及び教授法の革新について論述されている。学校教育と家庭教育と地域社会の連携が指摘され、PTA組織や青年団体やさまざまな社会組織ができたことが指摘される。これらは旧教育と現代教育の相違点だが、続いて類似点が示される。道徳・思想教育の重視、詰め込み式の教授法、試験の成績だけで行う評価方法、国語と算数重視のカリキュラム編成などが考察され、受験勉強の弊害が正されるどころか深刻化した事態が明らかにされる。

 第七章では、教育の問題状況がどのような矛盾からうまれ、どのように顕在化したのかを分析していく。教育のリーダーたちが非現実的な高い目標を掲げ、目標を現実化させる政策やその政策の実施条件などを明らかにしないままに教育改革を決定したことにより、さまざまな問題がうみ出されたことが示される。主に1980年代の第三次教育改革の実施過程が検討され、特に教員の離職、生徒の中途退学の激増と高い留年率(その結果、小学校修了者数は入学者数の50~60%にしかならない)といった問題状況が示される。筆者はこれらの問題の根は以前よりあったが、戦時下という特別の状況によって顕在化しなかっただけだとする。ベトナムの旧教育(封建主義教育と植民地教育)を払拭しようとしたものの、新しい教育の理念は鮮明さを欠き、旧教育の欠点を克服しようとした方策は旧教育の遺産の理解の上に作られたものではなく、極端で実現されにくかったとされる。結局、変化しつつある社会であるにもかかわらず旧教育のスタイルが継承され、教育の改革要素が空洞化されているというのが筆者の分析である。教育と労働の結合という原理の空洞化過程が詳しく解明され、つぎに知育優先で情操教育が軽視されるなど、全面教育という教育目的とは相反する事態が進展するさまがこれまた丁寧に説明されている。また、専門学校や職業訓練施設などが少ない歪んだ教育構造や教育政策の矛盾(地域社会との結合にもとづく学校経営と中央集権的な教育行政との矛盾など)が厳しく指摘されている。

 結論部分では、分析結果が論述される。教育改革が、予期せぬ結果をうみだしたり、目的をどうしても果たせない実態を描き、そうした状況がつくりだされる要因を析出できたとする。新しく取り入れる教育目的や教育を構成する要素が、これまでの教育から無意識的に継承された考え方や形態と共鳴する場合は成果をあげるが、継承されている諸要素を考慮しない場合、改革要素は空洞化されうるという分析である。筆者はさいごに人々における教育に対する考え方となじみ、かつかれらが求めているものとして、職業教育の改革と基礎教育の改革(官吏になるためでなく人間になるためという、庶民の心の底にある教育思想の実現)を提案している。こうして、意識的さらには無意識的に継承されている教育についての考えを歴史的に深く読み解く必要性が、説得力をもつ叙述によって主張されている。

 筆者は以上のような分析が可能になったのは、教育の歴史における非連続と連続とを解明するという課題意識によるばかりでなく、教育問題の原因を、経済などの教育の外ではなく、教育を構成する諸要素(カリキュラムや教授法や教師の質など)間の関係のあり方にもとめたことにもよる、とする。ベトナムにおいて先行研究の少ない教育問題の率直な析出とその深部にせまる分析は意味をもつと思われるが、それだけでなく、教育史の非連続性ばかりでなく連続性をも解明する研究として、さらには教育にかかわる人々の考えと改革との関係を問うという研究視角に立つ試みとして、課題提起的な仕事がなされたことになろう。

3 論文の成果と問題点

 「ドイモイ政策」以降のベトナム教育のもつ諸問題を、大胆に長い歴史の時間枠をたどりながら検証しようとする問題意識を評価したい。

 植民地主義からの脱却という政治的な課題を優先させたこれまでのベトナム国内での教育の歴史的な研究を批判的にとらえ、そうした枠組みにとらわれない教育の叙述を目指し、ベトナムの植民地教育期から現代までを見据え、その連続性に注目した叙述をなしたところに、本論文の特徴がある。その際、植民地期などの教育経験を聞き取り調査で補うなど、どのようにその時期の教育を体験したかという視点を大切にして、連続性を説得力豊かに描いている点は評価に値する。社会史の方法としては物足りないものの、丹念に聞き取られた内容は歴史的に重要な意味を有している。

 いままで政治思想と不可分の賛美の歴史の叙述に終始していた先行研究と異なり、政策や改革がどのように実施されたかを批判的に考察し、その改革や政策が孕む矛盾を析出することに成功している。また、教育改革と政策が意図せぬ結果を生み出すこととなる過程を描きだしているところも、興味深い。たとえば、植民地教育が、フランス文化の伝播による下級官吏の育成をめざしたのにもかかわらず、生徒たちの多くが政権との関係が比較的に薄い進路を選び、またフランス語とフランス文化の強調がかえってベトナム語とベトナム文化への愛着を生み出してしまい、批判的思考を学習者に育てることになった過程が描かれている。

 現代の教育のありようをリアルに、徹底的に批判的に書き込んであり、読み手にその問題状況がひしひしと伝わってくるのも、論文に力がある証拠であろう。しかし、問題点がないわけではない。弱点として、研究対象とした期間が長いので、叙述に十分でないところがみられる。たとえば、学校への就学の状況についてリセと初等学校を比較するなどして植民地政策の量的制限を指摘するが、それは家族の教育への選択の問題、つまり家族の側の再生産戦略のもとで就学行動が定まるという実際の社会と学校との一般的な関係がそこにはあるわけで、それを踏まえながら植民地教育期の就学行動を見据える必要があろう。

 自己実現を価値にベトナムの教育の歴史的な評価をなしているが、もう少し社会のあり方を表に示すことで、その間をいきる人々の生活が叙述されると、より提出された枠組みに説得力が与えられると思う。  一部、日本とベトナムの比較が取り入れられている。たたみかけるように比較の問いが立てられ、叙述は歯切れ良い。しかし、日本についての言及では分析の浅いところが見られる。

 また、資料上の制約のため、戦後の「南ベトナム」の部分が含まれていないのは惜しい。その点も含めて、本論文を幹として、さまざまなより詳細な研究が生み出されるのであろうことを予感させる枠組みを提示している。

 以上のように、弱点をもってはいるが、教育の非連続だけでなく、連続性をも深く読み解く本論文は、教育の進展のダイナミズムをとらえることとなり、ベトナム教育史を一部書き替える作業として結実した。この点は高く評価されよう。ベトナムにおける教育史研究にとって画期的な意味をもつものと思われるが、それにつきず、日本における教育史研究にとっての貢献も小さくないと考える。それは、日本においてまことに手薄なベトナムの教育史を明らかにしてくれたことばかりでなく、教育政策とそこに生きる人々のかかわりの動態を浮き彫りにしようとした問題意識と研究手法の組み合わせおよび全体的枠組みの問題提起性である。所々に詰めの甘いところや細部な点で精密さに欠けるところがあるが、歴史の見直しに大胆に取り組み一定の成果をあげたことに注目したい。

 長い歴史軸の中で、現代教育の実相が脈打つように見えてくる彼女の研究のスケールの大きさは、多少粗削りなところは否めないとしても、高く評価されてしかるべきだろう。

 よって、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と認定する。

最終試験の結果の要旨

1999年7月14日

 1999年6月18日、学位論文提出者VU THI MINH CHI氏の論文について最終試験を行った。試験において、論文提出「変革期ベトナムの教育-その実践と歴史的展開-」に基づき、審査員が疑問点について逐一説明を求めたのに対し、VU THI MINH CHI氏はいずれにも適切な説明を行った。
 よって審査員会はVU THI MINH CHI氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格判定した。

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