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博士論文審査要旨

論文題目:ロバアト・オウエンの社会編成原理における隣人愛とコミュニティ
著者:金子 晃之 (KANEKO, Teruyuki)
論文審査委員:関啓子、富沢賢治、木本喜美子

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 1 論文の構成

 本論文の構成はつぎの通りである。

序 論
I.本論の課題
II.研究史における本論の位置と独自性
III.課題の意義
IV.課題と構成
V.方法と構成
VI.史資料の概要
第1章 思想の基本的構造
1節 性格形成原理の理論と課題
2節 改革論の展開
第2章 社会編成原理としての隣人愛
1節 隣人愛と宗教
2節 社会編成原理としての隣人愛
第3章 学校教育における隣人愛の創出過程
1節 教育目標としての個と全体との幸福
2節 教育実践の過程
3節 性格形成原理を内面化するのに不可欠な「古代・現代史」と「地理」
第4章 コミュニティにおける隣人愛の育成過程
1節 オウエンのコミュニティ構想
2節 人間の合理的な状態
3節 タウンシップと隣人愛
第5章 理論の実践と同時代人による評価
1節 理論の実践
2節 19世紀前半の同時代人による評価
3節 オウエンから見た自己の理論と他者に対する態度
4節 理論から現れる新社会
結 論
I.各章の結論の要約
II.結び
文献目録績
巻末資料――1.(1),(2),(3), 2.3.

2 本論文の課題と概要

 本論文は、金子晃之氏がひたすらオウエン研究にうちこみ、じっくり練り上げた力作である。序論において、これまでのオウエン研究は経済思想史研究の視角からのものが中心であり、また、晩年のオウエンの仕事をも含み込むオウエン像の提起に成功しているとは言いがたいと先行研究を整理する。そのうえで筆者は、隣人愛とコミュニティを考察することにより、経済思想史的視角からでは覆いきれないオウエンの社会編成原理の問題を解明するという課題をたてる。本論は、経済思想史の視角からの、さらには協同組合研究としての、オウエンをめぐる豊かに蓄積された先行研究に対して、オウエンの思想を掘り下げることによって、1830年代半ば以降のオウエンの思索と活動をも含み込むトータルなオウエン像を提起しようとする意欲作である。

 第1章では、オウエンの思想の核心をなす性格形成原理の理論とそれに基づく彼の社会変革論の展開が検討される。

 まず、人間の性格は環境に規定されるという、オウエンの性格形成原理が、個と全体との幸福の結合、悪徳を許容する隣人愛、隣人愛を養成する場としての学校、宗教批判、人間発達への計画的介入の徹底化、社会分析と歴史観、という側面から考察される。

 さらに、1810年代後半からのオウエンの社会分析論の対象の拡大、経済的自由競争と工業化社会への批判、人間的労働と機械との共存、コミュニティと市場との競争、コミュニティ論の内容、という側面から、オウエンの社会改革論の展開過程が考察される。そして、この社会変革論の展開過程において、資本主義発展に内在する問題が分析され、その問題を解決するために「一致と相互協同の原理」に基づくコミュニティ構想が『ラナーク州への報告』(1820年)に結実したと結論される。

 第1章全体の結論としては、性格形成原理の課題が隣人愛の創出にあったこと、隣人愛がオウエンの社会編成原理の基礎をなしていたこと、そして、隣人愛形成の場として、学校に留まらず、コミュニティにおける日常生活の全体が重視された点が強調される。また、このような観点から、オウエンに関する従来の教育論の研究が学校教育とコミュニティの関係を詳細に検討してこなかった点が批判される。

 第2章では、社会編成原理としての隣人愛が検討される。

 前半では、宗教的自由の権利、既成宗教の否定、1817年のコミュニティ構想における隣人愛、という諸問題から、隣人愛と宗教との関連が検討される。

 後半では、隣人愛の一般的意味、および隣人愛に関する同時代人の見解との対比によって、オウエンの隣人愛の特殊性の解明が試みられる。

 第2章全体の結論としては、オウエンの主張する隣人愛が信仰ではなく理性を介して創出されるものであり、人と人を結びつける社会編成のための基盤となっている点が強調される。すなわち、人間の性格が環境に規定されるという性格形成原理を人が理解することにより、他者の悪徳の責任を個人に帰着させるのではなく、これを環境のなせる結果として理解し、他者を許容し隣人愛を抱くにいたるという見解が、オウエンの社会編成論の基礎をなしているとされる。しかも、この隣人愛は自然に生じるものではなく、隣人愛の創出のためには意図的・計画的な実践が必要とされるという点に、オウエンの社会編成論の特殊性があるとされる。

 第3章では学校教育における隣人愛の創出過程が解明される。ここでは、オウエンの長男ロバアト・デイル・オウエンによる『ニュー・ラナークにおける教育制度の概要』(1824年)が分析される。この資料は教育学研究を含めた従来のオウエン研究において、詳細に検討されることがほとんどなかったものだが、教育実践の目的、方法、内容を知るためには、重要極まりない資料である。この資料の分析によって、筆者は学校教育における隣人愛の創出過程を丹念に解き明かし、さらに、「古代・現代史」と「地理」が性格形成原理の理解にとって不可欠の科目であったことを明らかにしたが、この指摘はいままでの研究では見落とされてきたものである。

 オウエンが工場経営に従事したニュー・ラナークの性格形成学院での教育実践では、個と全体との幸福、それを実現するのに不可欠な「隣人愛」、その隣人愛をつくり出すために必要な「推理能力」の形成などが、教科、教材、教授法を規定していたことが示される。

 遊びを通して友達同士が親切に振る舞うことから得られる快楽のもとに子どもを置き、教科教育で推理能力を獲得させ、生徒たちが不愉快だと思える相手に対して「隣人愛」をもつようになっていく過程が描かれる。推理能力は、事実を集め、比較し、自分で判断することを通じて獲得されるものとされる。学院では教材選択が重視され、教師は生徒たちの身の回りに存在するもの、子どもの感覚に訴えるものを教材に用い、実物教授の導入、模型や標本などの利用を試みる。誕生時から置かれてきた環境によって人々の言動が左右されることを理解させる科目として、「古代・現代史」と「地理」が重視されたことが明らかにされる。

 第4章ではオウエンのコミュニティ構想を隣人愛の育成という視点から考察している。ここで取り上げられているのは、ニュー・ラナークの統治から、1917年の二つのコミュニティ構想、1820年のコミュニティ構想、1826年-27年のコミュニティ構想、タウンシップ構想(1949年)であり、これらの構想が時系列的に比較・分析されている。筆者はタウンシップ構想をもっとも成熟した内容として位置づけており、その特徴を主として「人間の合理的な状態」(1920年~30年代)という把握からさらに進んで、タウンシップ構想における「人間の幸福に必要な条件」へと踏み込んでいく点に見いだしている。

 1920年代から30年代までのオウエンは、一方では「不自然な」性交や結婚を作り出した主要因として教会と牧師を批判し、既存の結婚制度の持つ不合理的な側面を全面的に否定した。他方では、私的所有を根底におく既存の社会が個別の家族をして競争に駆り立てている点に目を向け、家族が個人的利己を生みだし、維持し、競争と対立そして不調和の温床であると批判した。したがってオウエンは、コミュニティを成立せしめる単位を個別の家族におかなかった。タウンシップ構想の憲法と法典の検討を経て筆者は、オウエンがコミュニティ社会に埋め込もうとした隣人愛という社会編成原理を、同一の日常生活、同一の経験そして同一の利益享受という関係から生まれる「家族のような関係」の醸成においていたことを明らかにしている。それを支えるべく、コミュニティ内部が「学校のような様相」を呈すること、すなわち誕生から生涯を通じて性格形成をなしていく過程がコミュニティに織り込まれている点が強調されている。こうしたなかで隣人愛を抱く人々の積極的な結びつきこそが「社交性」の意味内容であり、これがオウエンにとっての「人間の幸福な必要条件」であるとする。

 以上の分析を通じて筆者は、コミュニティが教育過程を統合するものとして捉えられていたハリスンの説を支持し、もっぱら社交性をコミュニティにおける共同労働を通して現れるとする見解にとどめることなく、生涯にわたる隣人愛の育成過程という視点からトータルに把握すべきであると主張している。

 第5章は、オウエン理論の実践を同時代人およびオウエン自身がどのように評価していたかについての考察にあてられている。ここではニュー・ラナークとニュー・ハーモニーの実践の経過と結果を踏まえた上で、まずリーズ市の市民代表団によるニュー・ラナークへの評価、ウィリアム・ラヴェットによる批判、およびニュー・ハーモニーへの参加者自身による評価とが検討されている。リーズ市の市民代表団のそれは、救貧法対策の一つとしての評価であり、「一つのよく統制された家族のようにみえる」というものであったが、後二者は専制主義の側面を鋭くつくものであった。とりわけオウエンに共鳴して活動に参加したウィリアム・ラヴェットのオウエン批判は、手厳しい専制主義批判であった。金子氏は、オウエンの世俗の教育論のもつ特殊性を、同時代の知識人との対比から浮き彫りにする補論においても、ウィリアム・ラベットとのちがいをとりあげている。ラヴェットはウィリアム・エリスおよびジョージ・クームとともに世俗の知識を、政治経済学の理解・肯定、権利ー義務という近代市民社会における市民としての資質の形成につなげている。しかしオウエンにおいては、世俗の知識が、性格形成原理によるコミュニティ社会の形成という目的の共有へとつながっているという点で、特殊なものであったとする。

 さらにオウエン自身による自己の理論に対する評価が、1830年代以降の彼によるコミュニティ構想評価、全国労働組合大連合および万国全階級協会、チャーティスト運動への言及・評価、全国社会科学推進協会の設立趣旨などの検討によって詳細にあとづけられている。そこから、よき性格形成と雇用保障という点で、オウエンは自己の理論と実践を高く評価する態度を一貫して保持しており、性格形成原理に基づく新社会の実現を「絶対の真理」と見なしていたという結論が導き出されている。すなわちオウエンの構想と実践は、「協同社会主義」(永井)という従来の把握にもとづく「社会的調和」や「共生」とはほど遠いものであった。あるいは、それらの指摘を超えるような、はるかにより徹底したものであって、オウエンの世界の承認という点においてあらゆるずれが許されない世界であった。筆者は慎重な文献の渉猟を経て、オウエンの思想が他者にとっては「最終的にはオウエンの世界に行くことしか許されない構造ないしは窮屈な建物だった」と強調する。

 結論部分では、各章の課題がどの程度解明されたかについての手ぎわよい点検がなされ、筆者の見解が説得力ゆたかに論述されている。性格形成原理の課題が隣人愛の創出であることが示され、その隣人愛がどのように創出され社会編成原理として機能するかが端的に示される。学校教育で創出される隣人愛を育成・強化する装置をもった場としてのコミュニティがあざやかにえがかれる。続いて、本論の到達点がもつ研究史上の意味が語られる。都築とハリスンの問題提起(隣人愛について、よくもちいられる博愛的視点ではなく、コモン・センスのオウエン的表現とする都築の問題提起。コミュニティを成功させるために教育を用いたばかりでなく、教育過程を統合するものとしてコミュニティを捉えたハリスンの問題提起)やクレイズによる解釈(オウエンの社会制度論が成熟したのは1830年代後半とする解釈)をしっかり受けとめ、オウエン研究をおし進め、隣人愛とコミュニティの綿密な検討によって、社会編成原理の究明という視野をひらいたことが語られている。

3  論文の成果と問題点

 研究史の蓄積の厚い分野に挑戦し、オウエンの思想に新たな視点を付け加えようとした点は評価に値する。特に丹念に文献を渉猟し、主要な論者の議論に分け入って、隣人愛の育成過程という視点からオウエンのコミュニティ構想とその実践の意味を把握しなおす提起を行っているところに、研究者としてのすぐれた力量が示されている。

 「ロバアト・オウエンの社会編成原理における隣人愛とコミュニティ」という主題について多面的な研究がなされ、特にキーコンセプトとされる「隣人愛」については克明な考察が加えられている。これはこれまでの研究史の空隙を埋める作業として評価されうる。

 従来の教育思想史研究でのオウエン理解とは異なり、幼児学級や学校教育を分析するばかりでなく、コミュニティそのものの人づくり機能にも着目し、コミュニティの運営への参加がコミュニティの人づくり機能を稼働させるという構想であったことを読み解いたことは、大きな研究成果である。

 しかし、問題点がないわけではない。先行研究を鋭く批判的に摂取し、論点に厳しく挑む姿勢は評価できるが、現在の論争点につよくこだわるあまり、表現がすぎたり、結論を急ぐところがないでもない。たとえば、「オウエンの世界を絶対とする側面と隣人愛による社交の側面とは、性格形成原理から生じる二つの側面」であるとする部分は、論者によっては意見のわかれるところでもあり、いま少し丁寧な論述が必要である。

 これまでの先行研究者によって十分な注意が払われなかった家族のあり方や女性のあり方などを視野に入れ、オウエンの構想において、個人とコミュニティを結ぶうえでの家族の位置づけや、隣人愛の形成過程におけるその役割について、興味深い研究素材を提示しているものの、これを十分に検討しているとはいいがたい。重要な観点を立てているだけに何とも惜しまれる。

 こうした問題点はあるものの、それにまさる学問的貢献がある、と審査委員は一致して判断した。豊かな先行研究をしっかりととらえ、一つひとつ論点をおさえ、文献の丁寧で精緻な解読作業を忍耐強く押し進めた結果、『新社会観』以降晩年に至るまでオウエンが一貫して関心をもちつづけた社会編成原理を究明しえた点は高い評価に値する。加えて、オウエンの経済思想のピークとされる1820年代と社会制度論の成熟にむかうそれ以降とを貫く一つのオウエン像を提起しえた点も見事といえよう。審査委員会は、本論文が、博士の学位を授与するのに必要な水準を達成していることを認定し、金子晃之氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのが適切であると判断した。

最終試験の結果の要旨

1999年7月14日

 1999年5月19日、学位論文提出者金子晃之氏の論文について最終試験を行った。
 試験において、論文提出「ロバアト・オウエンの社会編成原理における隣人愛とコミュニティ」に基づき、審査員が疑問点について逐一説明を求めたのに対し、金子氏はいずれにも適切な説明を行った。
 よって審査員会は金子晃之氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格判定した。

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