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博士論文審査要旨

論文題目:ソ連・コミンテルンとスペイン内戦-モスクワを中心にしたソ連とコミンテルンのスペイン内戦介入政策の全体像
著者:島田 顕 (SHIMADA, Akira)
論文審査委員:加藤哲郎、上野卓郎、土肥恒之、吉田 裕

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一 本論文の構成

島田顕氏の学位請求論文「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦——モスクワを中心にしたソ連とコミンテルンのスペイン内戦介入政策の全体像」は、1936−39年のいわゆるスペイン内戦の時期の、ソ連邦(1917-91)とコミンテルン(共産主義インターナショナル、1919-43)の関わり方、介入・不介入のあり方を政策決定システムとして検証するもので、旧ソ連崩壊後に現れた第一次史資料を駆使して、当時のソヴェト国家と世界政党であるコミンテルンのシステム的関係、それぞれの内部の政策決定機構とスペイン内戦との関わりを綿密に分析した、400字原稿にして1400枚にのぼる大作である。
全8章からなる本論文の構成は、以下の通りである。文献、付録資料も掲げておく。
0.序論
0.1.はじめに―問題の所在 8
0.2.研究史の整理 11
0.3.課題と方法 18
0.4.システムとは何か―栗原浩英の「コミンテルン・システム」論批判 20
0.5.本論文のコミンテルン・システムとスペインシステム 23
0.6.本論文の構成 25
1.二つの中央指導部―モスクワにおけるソ連とコミンテルンの関係(支配と従属)
1.1.従属とは何か―従属の定義 30
1.2.従属の歴史 30
1.3.従属の研究史 32
1.4.ソ連従属下におけるコミンテルンの意義(役割) 36
2.ソ連指導部―政策の決定機関1  
2.1.政治局 38
2.2.ソ連の指導者 41(スターリン、カガノヴィッチ、カガノヴィッチの経歴、スペイン問題とカガノヴィッチ、カガノヴィッチとスペイン内戦、ヴォロシーロフ、モロトフ)
2.3.スターリン執務室会議 53
2.4.組織局 55
3.ソ連の政策決定過程―政策決定の過程1
3.1.ソ連指導部のスペイン内戦介入の意味 57
3.2.勃発以後の対応 57
3.3.特派員の派遣 58
3.4.武器以外の援助 59(重油・食料その他の物資の輸出について、人道的援助について、金準備について、重工業原料について、武器以外の援助の終焉、スペイン児童の疎開問題について)
3.5.不干渉委員会に対する対応 66(最初の対応、紛糾する不干渉委員会、1937年以降の不干渉委員会とソ連指導部)
3.6.人事面での決定 76
3.7.武器援助―作戦「X」 77
3.8.ソ連指導部とスペイン内戦 81
4.コミンテルン中央―政策決定の機関2
4.1.コミンテルンにおけるフォーマルシステム―実質的な政策決定機関83(コミンテルン執行委員会幹部会・書記局、書記長ディミトロフ、書記局ビューロー、書記長個人小書記局、ディミトロフの役割、ディミトロフのスペイン観、マヌイリスキー、マヌイリスキーの活動1―スペイン内戦以前、フランス関連の活動、コミンテルン執行委員会での活動、スターリンとのパイプ役、ディミトロフ招致、マヌイリスキーの活動2―スペイン内戦以降、スペイン問題担当小書記局長としての活動、スペイン問題に関する会議の報告者、ディミトロフの相談役、スペインについてのマヌイリスキーの見方、スペイン内戦とマヌイリスキー、トリアッティ、その他のコミンテルン指導者)
4.2.コミンテルンにおけるインフォーマルシステム―コミンテルンの制度的支柱113(全連邦共産党(ボ)コミンテルン執行委員会内代表団、全連邦共産党(ボ)コミンテルン執行委員会内党細胞、全連邦共産党(ボ)コミンテルン執行委員会内委員会=パルトコム、コミンテルン執行委員会人事部(組織局)、コミンテルン執行委員会国際連絡部(連絡課、OMS、SS)、国際統制委員会(IKK))
4.3.コミンテルン内の政策決定の方法とその問題点 125
5.コミンテルン中央の会議
5.1.コミンテルン中央の会議の意味 128
5.2.9月以前の会議について 129
5.3.9月16日から19日の会議―最初の大会議 130(出席者の問題、報告内容について、トレーズの報告について、フローリン報告について、ポリット報告について、コプレニッヒ報告について、ゴルキッチ報告について、ディミトロフの発言とコドヴィーリャ報告について、決議)
5.4.9月18日の会議 148
5.5.9月19日の会議 151
5.6.全体の決議について 153
5.7.コミンテルン中央の会議とスペイン内戦 154
6.コミンテルンの政策決定過程―政策決定の過程2
6.1.ディミトロフを中心としたコミンテルンの研究史 156
6.2.勃発から1936年末まで 158(国際旅団義勇兵の派遣、勃発当初から1936年末までのコミンテルンの動き、ソ連指導部との関係1—ソ連側組織との連携)
6.3.1937年からの動き 165(カバリェロ首相解任について、第二インターとの協議、粛清に関連して、1937年後半、社共統一政党への動き、ディミトロフのスペイン内戦関連活動)
6.4.1938年からの動き 175(国際旅団の廃止決定、ソ連指導部との関係2、終戦まで)
6.5.コミンテルンとスペイン内戦 182
7.スペイン―コミンテルン代表を中心にして
7.1.コミンテルン代表の意味(中央と地方の関係) 183
7.2.最初のコミンテルン代表団 185
7.3.スペインにいたコミンテルンの活動家 187(ヴィクトリオ・コドヴィーリャ、ストヤン・ミネフ、エルネー・ゲレ、暗号名「カウツキー」、パルミーロ・トリアッティ)
7.4.代表団の活動190(1936年前半まで、ゲレ報告1936年7月23日のコミンテルン執行委員会書記局会議、コドヴィーリャ報告1936年9月16―19日のコミンテルン執行委員会幹部会会議、書記局会議、1937年前半まで、トリアッティのスペイン着任とコドヴィーリャの解任)
7.5.代表団のあり方 201(トリアッティ、イバルリの批判、業務から見た代表団、組織から見た代表団、コミンテルン代表とスペイン内戦)
8.コミンテルンとソ連―スペイン内戦は何だったのか
8.1.ソ連とコミンテルン 207(ソ連の政策決定システム、コミンテルンの政策決定システム、ソ連とコミンテルン―両者の交錯、スペイン駐在コミンテルン代表団)
8.2.スペインシステムとは 211
8.3.コミンテルン指導者 215
8.4.スターリンとソ連指導部の変化 218
8.5.スペイン内戦は何だったのか 220
8.6.今後の課題 225
文献目録 231[略語一覧][史料][英語文献][ドイツ語文献][ロシア語文献][ブルガリア語文献][スペイン語、イタリア語、カタロニア語、フランス語文献][日本語文献]
付録 246
1 スペイン内戦当時のソ連国家の人民委員部および人民委員(閣僚)、全連邦共産党(ボ)中央委員会政治局会議、書記局会議のメンバーの顔ぶれ〔1〕スペイン内戦当時のソ連国家の人民委員部および人民委員(閣僚)の顔ぶれ、〔2〕スペイン内戦当時の全連邦共産党(ボ)中央委員会政治局会議、書記局会議のメンバー
2 全連邦共産党(ボ)中央委員会政治局会議議事録スペイン内戦関連決議抜粋 250
〔1〕スペイン内戦関連決議リスト、〔2〕スペイン内戦関連決議内容
3 コミンテルン執行委員会幹部会会議・書記局会議議事録(Auszug spanien) 270
〔1〕コミンテルン執行委員会幹部会会議・書記局会議スペイン関連会議議事録抜粋、〔2〕アウスツークによるスペイン問題審議回数統計、〔3〕アウスツーク出席者統計
4 モロトフ宛書簡 297
5 ディミトロフ日記 303
6 主要人物の経歴 321
〔1〕ヴォロシーロフの経歴、〔2〕モロトフの経歴、〔3〕クーシネンの経歴、〔4〕コドヴィーリャの経歴、〔5〕ミネフの経歴、〔6〕ゲレの経歴
7 スペイン内戦政策決定のパターン 330
8 模式図・解説 331〔1〕ソ連のシステム、〔2〕ソ連システムの政策決定システム、〔3〕コミンテルン・システム、〔4〕スペインシステム、〔5〕ソ連とコミンテルン中央との関係
註 339-386
二 本論文の概要

1930年代のコミンテルンについては、その世界革命組織、国際連帯組織としての建前とは裏腹に、スターリン体制確立期のソ連国家の外交政策の道具として扱われることが多い。とりわけ本書の対象とする30年代後半は、コミンテルン第7回大会決定(1935年)「反ファシズム統一戦線・人民戦線」の実践期であると共に、ソ連邦内では、スターリンの政敵から外国人亡命者にいたる大粛清期として知られている。一方でのスペイン共和国支援、国際旅団派遣などファシズム台頭に対する民主主義・平和主義の主張、他方での自由・人権の抑圧の同時進行をどう理解するかで、歴史的評価も分かれてきた。旧ソ連が健在でソヴェト国家・コミンテルン双方の内部資料が隠匿されていた冷戦時代には、それらの研究は、公式の決議・決定・声明・国際協定以外は、関係者の回想や第二次資料に頼るのが常だった。
本論文の著者は、ソ連解体期に閲覧可能になったいわゆる旧ソ連秘密文書、旧ソ連共産党マルクス・レーニン主義研究所付属ソ連共産党中央文書館(現ロシア国立社会政治史アルヒーフ、通称RGASPI=ルガスピ)の関係史資料を可能な限り収集・整理し、英米を含む世界の研究状況を改めて学んだ上で、これまで研究史上のブラック・ボックスになっていたモスクワにおけるスペイン内戦への政策決定のメカニズム解明に挑戦した。
序論は、研究史整理と対象・方法の限定で、1936年2月のスペイン総選挙による人民戦線政府の成立から39年3月の内戦終結、フランコ政権確立にいたる時期の、ソ連国家とコミンテルンのそれぞれのスペイン政策を、その制度的担当部局・担当者、それぞれの政治資源と動員の態様、スペイン現地との連絡・指導ルート、「システム」という視角の使用法と意義などが述べられる。そのさい、同時期に進行するフランス人民戦線政府や独ソ関係・米ソ関係、中国抗日運動やアジアにおける民族運動、それにソ連国内の粛清や経済建設の問題は、ソ連国家とソ連共産党、及びコミンテルン=世界共産党のそれぞれの全体システムがいったん抽出され、その重なり合い・関係が検討された上で、それらの中のスペイン内戦に直接・間接に関わる小システムや政策機構・ルートのみを検討の対象とすると述べられる。そこで国内粛清や中国政策のシステムはいったん捨象され、スペイン政策のためのシステム——著者のいうスペイン・システム——が析出される。
研究史の上では、H・トマス、E・H・カー、旧ソ連の正統史、アメリカの全体主義研究等が、カーを除いて「政策決定の多元性」が目配りされていないと批判され、主としてソ連崩壊後に現れた「システム」に着目した内外の諸研究が注目される。ソ連システムとコミンテルン・システムを一元的な支配・従属ととらえるのではなく、コミンテルンのソ連への従属を認めながらも相対的に別個なシステムととらえるべきこと、モスクワと現地システムの関係も、一方的な支配・指導ではなく、多様なルートの存在を想定して把握すべきだという。そのうえで、ソ連については共産党が決定し国家が執行する「ソ連システム」、その内部にあるが相対的に自立した「コミンテルン・システム」、それらシステム中枢がスペイン現地と関わる「スペイン・システム」の3つの「システム」が、それぞれ多元的で小システムを持つものとして抽出される(巻末付録で図示される)。
第1章「二つの中央指導部―モスクワにおけるソ連とコミンテルンの関係(支配と従属)」は、1930年代のコミンテルンはソ連に従属してきたという通説を、「ソ連システム」と「コミンテルン・システム」という二つの中枢システムの関係の中におき、従属とは一般に「強者が弱者を従わせること」だが、両者の目的が等しい場合は指導ないし援助で、目的が異なる際に従属となるとし、現地=「スペイン・システムへの介入」との関係で具体的に明らかにすべきだという。そのさい「介入」を広くとり、政策のみならず組織統制、財政及び人事をも視野に入れた点が、本論文の特徴である。
第2章「ソ連指導部―政策の決定機関1」は、「ソ連システム」を扱う。ソ連の国家と共産党の基本政策を決定する政治局は、俗称インスタンツィヤと重なり、そのメンバーは、スターリンと側近指導者カガノヴィッチ、ヴォロシーロフ、モロトフである。ようやく公開された政治局議事録やスターリン執務室訪問記録にもとづき、スターリンのスペインへの関心は高くなく、側近ではカガノヴィッチが相対的にスペインに関わり、外務人民委員のモロトフはほとんど関係せず、総じて実務的であったことが抽出される。
第3章「ソ連の政策決定過程―政策決定の過程1」では、1936年2月スペイン内戦勃発時の「介入」が、ソ連共産党機関紙『プラウダ』特派員の派遣と報道、武器や石油、衣料品援助、スペイン国立銀行金準備、重工業原料輸出、27か国不干渉委員会での対応等の政策を検討する。不干渉委員会での独伊と英仏の狭間でのソ連外交では、「作戦X」というスターリンと政治局レベルの暗号を用いた武器援助決定があったこと、国際義勇軍の派遣・撤兵も最高レベルで決められたこと、しかし「人道的援助」とよばれた子供の衣料品援助等はソ連の労働組合の義捐金で賄い、税金投入どころか逆に課税していたこと、スペイン国立銀行の金準備や武器・石油輸出も人民戦線政府の経済的困難につけ込んだ国家ビジネスで、ソ連の国家財政を潤す「援助という名の輸出」であったことを、秘密文書を用いて緻密に明らかにした。
第4章「コミンテルン中央―政策決定の機関2」は、「ソ連システム」の一部であるが相対的に自立的な「コミンテルン・システム」を扱う。そのさい「フォーマル・システム」として、コミンテルン執行委員会幹部会・書記局、書記長ディミトロフと書記局ビューロー・個人小書記局、コミンテルン執行委員会ソ連共産党代表のマヌイリスキー、スペイン問題について重要な発言をし後にコミンテルンからスペインに派遣されるイタリア共産党のトリアッティらをあげる。「インフォーマル・システム」として、ソ連共産党のコミンテルン執行委員会内代表団、コミンテルン執行委員会内党細胞、コミンテルン執行委員会内党委員会(パルトコム)、コミンテルン執行委員会人事部(組織局)、国際連絡部(連絡課、OMS、SS)、国際統制委員会(IKK)などを扱う。著者によると、ソ連国内の粛清で重要な役割を果たした「インフォーマル・システム」は、スペイン内戦との関わりではほとんど作動せず、わずかに国際連絡や情報収集にOMSが介在したこと、政策決定ではディミトロフ、マヌイルスキー、トリアッティの役割が決定的であったことを、閲覧可能になった秘密決定・書簡類など第一次資料を駆使して論じる。粛清に関わって世界の研究者が注目しながら未だに全容のはっきりしないOMSについて8頁に渡り歴史的に分析し、ディミトロフとスターリンの頻繁な会見の記録を見出して、それを仲介するマヌイルスキーの役割を浮き彫りにした。
第5章「コミンテルン中央の会議」は、ソ連崩壊前からコミンテルンとスペイン内戦の関わりで最も注目されてきた、1936年9月16日から19日のコミンテルン執行委員会幹部会会議及び書記局会議の詳細な分析である。コミンテルン第7回大会の統一戦線・人民戦線政府論との関わりでは、この会議でディミトロフがスペインを「真の人民民主主義を持つ特別な国家」と特徴づけ、会議後トリアッティが「スペイン革命の特殊性について」を書いて、戦後のマルクス主義政治理論に大きな影響を与えた。著者は、史資料を駆使して会議の模様を議事録風に再現し、この会議が従来注目されてきた新しい革命論や民主主義論の提示というよりも、世界各国の共産党代表者たちにスペイン支援の意義を認識させ徹底させるためのものであったこと、理論的には深い討論などなく、ディミトロフとトリアッティのスターリンやソ連共産党とは相対的に異なる個人的見解が表明されたものであることを解明した。戦後のマルクス主義政治理論には、人民戦線政府への過剰な思い入れ、過大な理論的評価があり、本論文の著者も当初はそうした発見を期待して史資料に接したが、新資料で実務的な議事進行を見出し、客観的な評価を下した。
第6章は、「コミンテルンの政策決定過程―政策決定の過程2」と題して、新公開資料の中で国際的に最も注目されている「ディミトロフ日記」を用いて、スペイン戦争義勇軍・国際旅団の派遣決定から解散までを詳細に分析する。前章までの分析でコミンテルン書記長ディミトロフのイニシアティブが「ソ連システム」と「コミンテルン・システム」の結節点であったことが明らかにされ、あわせてディミトロフはコミンテルン内の「フォーマル・システム」と「インフォーマル・システム」の接点にあったことから、二つの中枢システムと「スペイン・システム」の具体的作動と従属の意味が検討される。1991年に存在が明るみに出た「ディミトロフ日記」は、ブルガリア語原本が最も詳細で信頼でき、世界的に流布しているイエール大学出版会の英語版は編者の恣意的抜粋であること、スペイン内戦関連ではスペイン、フランス、イタリア語圏でも未だに「日記」を用いた本格的研究がないことを踏まえ、著者はブルガリア語版「日記」及びロシア語執務記録等を丹念に検討し、ディミトロフのスペイン内戦との関わりを日誌風に再現する。国際旅団と共に、武器買い付けやカバリェロ首相解任問題、アナーキスト・トロツキー派への態度、第二インターナショナルとの協議など、従来の政治史研究で扱われてきた問題が、新しい史資料から探求された。国際旅団の派遣と解散の基本決定は「ソ連システム」のスターリン執務室で行われたが、それはスターリンのディミトロフ及びマヌイルスキーへの信頼と緊密な連絡をもとにしていた。国際旅団の具体的募集・派遣・運用は、ディミトロフ中心の「コミンテルン・システム」で行われた。その中での「従属」事例は、スターリンはスペイン革命の深化も急激な国際関係変化も望まず、コミンテルン側が現地の要請と軍事的状況から必要と考えたカバリェロ首相解任に反対して遅らせたこと、ソ連国内で粛清を進める秘密警察NKVDが、スペイン人民戦線内部の対立に乗じてトロツキストとみなされたPOUM(マルクス主義統一労働者党)非合法化に介入し粛清したことだった。
 第7章「スペイン―コミンテルン代表を中心にして」は、スペイン現地の共産党、国際旅団との連絡、現地ソ連大使館との調整などで重要な役割を果たしたコミンテルン執行委員会派遣スペイン代表団を扱う。この問題も、国際連絡部(OMS)と並んで、世界の研究者が注目している点で、日本に派遣されたカール・ヤンソン、中国共産党のオットー・ブラウン、フランス人民戦線成立の立役者となったヴァサール、アメリカ共産党に派遣されたゲアハルト・アイスラーなど存在は知られているが、先行研究の少ない領域である。著者は、コミンテルン派遣代表の役割を、連絡、助言、調整、報告、分析と機能的にパターン化し、この期のスペイン駐在コミンテルン派遣メンバーを、ヴィクトリオ・コドヴィーリャ、ストヤン・ミネフ、エルネー・ゲレ、暗号名「カウツキー」、パルミーロ・トリアッティと具体的氏名(「カウツキー」のみ本名・経歴不明)と役割を分析し、特にコドヴィーリャの官僚的・恣意的「介入」がスペイン共産党との軋轢を生み、「コミンテルン・システム」中枢にあったトリアッティがスペインに派遣されたのは、コドヴィーリャとゲレの解任・更迭とコミンテルンからの「指導と助言」徹底のためであったとする。
最後の第8章「コミンテルンとソ連―スペイン内戦は何だったのか」は全体のまとめで、これまで述べてきた政策決定事例を「ソ連システム」「コミンテルン・システム」「スペイン・システム」のそれぞれでどの部局・指導者・ルートが担ったか、それがスムーズに効率的に進んだ「指導」ないし「助言」であったか、問題を起こした「従属」的介入であったかを、総括的にパターン化している。ソ連から8ルート、コミンテルンから11ルート、全部で19に類型化された政策決定パターンは、スペイン内戦の歴史を語るにはやや煩瑣であるが、「システム」の多元性、相対的自立を示すという著者の問題設定への回答になっており、またスターリン、ディミトロフ、マヌイリスキーをトップ・リーダーと判定したリーダーシップ論につながる。末尾で著者は、スペイン人民戦線での財政や人事をも用いた直接・間接の「介入」、ソ連外交を補完した「積極的従属」の経験が、実は第二次世界大戦後のソ連による東欧諸国支配の原型であり実験場であったという重要な問題提起を行っている。かつてE・H・カーが示唆したものを、より実証的に敷衍したものだが、本研究が同時代のフランス人民戦線、中国国共合作の研究のみならず、戦後の中東欧地域研究やコミンフォルム研究に応用できることを示唆した。
特筆すべきは、674項目の注解をはじめ全体の3分の1の分量を占める付録である。英語、ドイツ語、ロシア語、ブルガリア語、スペイン語、イタリア語、カタロニア語、フランス語、日本語の文献史資料目録、スペイン内戦当時のソ連国家・党、コミンテルンの各部局毎の指導的メンバー一覧、主要人物の経歴等、本書の分析のもとになった基礎資料が整理され、日本ではもちろん初めてのコミンテルン執行委員会幹部会会議・書記局会議の重要な議事録(Auszug)、会議出席者統計、日記・書簡などが訳出されている。これらはソ連及びコミンテルン研究の百科全書的意味を持ち、独自の書誌学的貢献とみなしうる。

   三 本論文の評価

 以上に要約した島田顕氏の論文は、以下の諸点で、高く評価できる。
第一に、本論文は、これまで資料的制約によりブラック・ボックスになっていたスペイン内戦時のソ連国家・共産党、及びコミンテルンの政策決定過程を、旧ソ連崩壊で閲覧可能になった第一次資料を丹念に読み込んで、ソ連共産党頂点での国際旅団派遣及び解散の決定、スペイン国立銀行金準備を担保にし人民戦線政府の経済的困難につけこんだ武器援助・人道援助の名によるソ連国家のビジネス、ディミトロフとスターリンの頻繁な会見記録、カバリェロ首相解任問題でのスターリンの反対、コミンテルン派遣スペイン代表の具体的氏名と活動実態、トリアッティのスペイン派遣の理由、国際連絡部(OMS)の介在等々、国際的な研究状況から見ても重要な史実を、実証的に明らかにした。
第二に、そのさい1936年9月コミンテルン執行委員会幹部会・書記局会議議事録の解読、ブルガリア語版「ディミトロフ日記」からの関連事項抽出など、ソ連崩壊で新たに利用可能となった第一次資料をいち早く活用し、ロシア語、ブルガリア語、スペイン語、カタロニア語、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、日本語の文献と史資料を系統的に整理して、イシューに即した時系列の政治史に仕上げ、コミンテルン国際連絡部(OMS)、コミンテルン派遣各国代表など世界的にも未開拓な領域での研究を進展させる史資料的土台を作った。世界で初めて利用される資料を含み、日本語になるのは初めてのものが大半で、当該領域における新時代の世界的研究の先駆けと評価できる。
 第三に、スペイン内戦との関わりに集中することにより、ソ連国家・共産党とは相対的に異なるコミンテルンの政策決定の諸機構と機能を、単純な全体主義論・一枚岩論やソ連外交の道具説に対置して、多次元的で立体的なコミンテルン像を提示した。「フォーマル」な諸機関・指導者ばかりでなく、「インフォーマル」な領域にも踏み込み、1930年代後半のスターリン粛清最盛期にもコミンテルンが実務的に機能していたことを明らかにした。またスペイン内戦介入を戦後のソ連の東欧諸国支配、他国共産党支配の手法・ルートの原型と位置づけて、今後の幅広い旧ソ連・コミンテルン研究に道を拓いた。
 しかし同時に、本論文にも、問題点がないわけではない。
第一に、本論文の問題設定が「ソ連システム」「コミンテルン・システム」「スペイン・システム」の三者の関係解明として設定されたため、スペイン内戦の歴史そのものの再検討・再評価には踏み込むことができず、外的条件を明らかにしえたものの、著者がかつて志した包括的なスペイン内戦研究という意味では、未完成なものとなっている。
第二に、「ソ連システム」と「コミンテルン・システム」のスペイン内戦介入の諸ルート・諸機能は明らかしえたが、同時に基本決定がソ連国家・党により独占されたことは著者も認めるところで、やはり従属ではなかったかという疑問は残る。世界の研究の近年の焦点だったスターリン粛清問題を敢えて捨象したために、ソ連国内での粛清、例えばラテン系諸国出身の亡命共産党員粛清とどう関係したかは、改めて問われうる。
第三に、本書で多用された「システム」の概念は、パーソンズ、ルーマンらのシステム社会学を必ずしも踏まえたものではなく、「体制」ないし「レジーム」に近く、やや機械的・図式的な印象を与える。またその作動を「効率性」を中心に評価したために、ロシア革命とソ連邦、コミンテルン、スペイン内戦という重要な20世紀的事象の歴史的・全体的評価を正面から論じていないのではないかという批判はありえよう。
その他文体や用語に日本語論文としてはわかりにくい表現も散見するが、もとよりこれらの問題点の多くは、著者が対象と方法の限定としてあらかじめ断ってあるもので、著者が実証的に示した大きな貢献を減ずるものではない。著者も十分自覚し、今後の課題としているものである。本論文は、これらの点を考慮し著書や外国語論文として公刊されれば、国際的にも有意味な学問的貢献となりうるであろうと評価できる。
以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し、本論文が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2005年11月9日

 2005年10月5日、学位論文提出者島田顕氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査委員が、提出論文「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、島田顕氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、島田顕氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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