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博士論文審査要旨

論文題目:中世民衆思想と法然浄土教 ―歴史に埋め込まれた親鸞像―
著者:亀山 純生 (KAMEYAMA, Sumio)
論文審査委員:平子友長、深澤英隆、若尾政希

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1. 本論文の構成
 本論文は、日本思想史における親鸞の思想の歴史的位置とその意義を、歴史学的研究と哲学的研究の内在的媒介を通して、明らかにしようとする試みである。
 本論文の構成は次の通りである。

序章 中世浄土教の思想史的研究の基礎視角
  第一節 歴史的宗教の哲学的研究と歴史学的研究の媒介の意義
      ―――三木「親鸞」と服部「親鸞」の断裂と交錯―――
  第二節 史的唯物論の宗教観の再検討
  第三節 思想史の軸と民衆思想
第一章 法然浄土教の歴史的意義と課題―――親鸞思想の"普遍"性の意味と歴史性の関係から
  第一節 親鸞思想の"近代性"と"普遍性"
  第二節 歴史の特殊性における思想の"普遍性"の意味
  第三節 法然浄土教の歴史的意義と課題―――正統派浄土教との対立から
第二章 正統派浄土教の民衆展開の方法と論理―――『沙石集』の歴史的位置と思想構造
  第一節 『沙石集』の歴史的位置
  第二節 民衆の目線が示す正統派浄土教と法然浄土教の対立点
  第三節 「真の仏道者」論の現実態と民衆的意義
  第四節 民衆にとっての『沙石集』の論理と専修念仏論の論理
第三章 武士の法然浄土教受容の論理と基礎―――東国武士の生活思想の物語的再構成を通して
   第一節 津戸三郎における浄土教信仰―――東国武士の生活思想と信仰の物語的再構成の試み
   第二節 熊谷直実(蓮生)における浄土教信仰―――民衆の生活思想と法然浄土教の魅力
第四章 都市民衆と農民の浄土教受容の生活的基礎
    ―――悪人観の逆説的受容と悪行肯定の論理―――
   第一節 悪人意識の逆説的受容の生活構造的基礎
       ―――民衆世界における臭穢空間の成立―――
   第二節 浄土教受容による殺生=悪人観の浸透とその両義性
       ―――山野開発と殺生禁断思想―――
第五章 法然浄土教民衆化の直接的思想化
    ―――一遍浄土教の思想構造と思想史的意義―――
   第一節 鎌倉仏教と一遍浄土教の思想史的意義
   第二節 一遍浄土教の思想構造における大衆性
   第三節 一遍浄土教の民衆性について
第六章 法然浄土教民衆化の批判的思想化―――非僧非俗論の二重性に見る親鸞浄土教の思想構造と思想史的意義―――
   第一節 親鸞の非僧非俗論の二重性
   第二節 悪人正因論と愚禿論
   第三節 非僧非俗論と信の内面性/社会性の内在的統一
終章 法然浄土教の理論的純化と民衆意識からの乖離
      ―――親鸞における信仰の"脱魔術化"の両義性と民衆的背景―――
   第一節 親鸞の「自然法爾」理解と中世の「自然法爾」論
   第二節 親鸞における信仰の内面化と社会的身体的行為の"脱魔術化"
   第三節 結語にかえて

本論文は内容的に、以下の三部から構成されている。第一部は、本論文の主題である中世浄土教を含め歴史的な宗教思想に対する思想史的考察の方法論と理論的立場の検討である(序章、第一章)。第二部は、中世民衆に展開・浸透した浄土教思想の性格とその生活世界的背景の分析である(第二章、第三章、第四章)。第三部は、中世民衆の浄土教受容に胚胎する思想的問題の浄土教的理論化・体系化の二方向への展開と、その思想史的意義の検討である(第五章、第六章、終章)。

2. 本論文の概要
 著者は、序章および第一章において、宗教思想史研究一般の方法論を検討し、著者の目指す親鸞論への基礎視角を確定することを試みている。
 序章においては、哲学者三木清の親鸞論とそれに対する歴史学者服部之総の批判を取り上げ、親鸞思想の哲学的・内面的解釈(宗教の教義内在的解釈)と歴史学的・社会思想的解釈(宗教のイデオロギー的解釈)とが、いかに乖離した状態にあったかを批判的に検討しつつ、両者の媒介的統一の必要性とその原理的可能性を検討している(第一節)。一般に歴史的な宗教思想の解釈において哲学的解釈と歴史学的解釈との方法的分裂は、現代でも自明の如く維持され、思想史研究にとって深刻な隘路となっている。清沢満之が内面的親鸞論を展開し、木下尚江が社会的親鸞論を展開するといった具合に、両傾向の無媒介的並行現象は近代日本の親鸞研究に通底する現象であったといえる。三木は、宗教の社会的側面をマルクス主義によって位置づけつつ、生の哲学・現象学的人間学の立場から独特の内面的親鸞論の枠組みを提起した。他方、服部は、三木によって解釈された親鸞の信仰の論理はそのまま前提としつつ、マルクス主義の立場から社会的親鸞論の枠組みを対置していた。
 著者は、両者の議論を批判的に検討しつつ、歴史的な宗教思想・親鸞解釈の二つの方向が内在的に媒介されえない理論的根拠の一つは、マルクス主義の宗教理解を呪縛している科学主義と近代主義にあると主張する。近代の科学主義は、宗教理解の基準を真理の認識問題に設定し、「科学的真理」のみを真理と見なす立場から、宗教の本質を「非真理」と断定する立場である(この立場は「認識論主義的」宗教論と呼ばれる)。著者は、これを克服するために、フォイエルバッハの「生活の術(わざ)die Kunst des Lebensとしての宗教」概念を参照しつつ、"実践としての宗教"論を提唱し、その理論的意義を明らかにしている(第二節)。
 この"実践としての宗教"論を歴史的思想に適用するためには、頂点的思想家自身の"実践としての宗教"だけでなく、何よりも民衆世界における"実践としての宗教"の具体的様態の分析が重要である。頂点的思想家の宗教・思想の独創性や歴史的意義は、同時代の民衆の"実践としての宗教"との相互関係の分析からこそ明らかにされるからである。だがそのためには、歴史的文化を民衆の自己表現として把握する視点と民衆の生活思想の析出が不可欠の課題となるが、中世民衆のそれは史料的制約もあって従来等閑視されがちであった。これに対して著者は、独自の"物語的再構成"の方法を提起している(第三節)。
 本論文の副題をなす"歴史に埋め込まれた親鸞"像とは、従来の研究においてはしばしば分裂していた親鸞解釈における哲学的研究と歴史学的研究、信仰の論理とその社会的意義とを媒介するために、親鸞自身の生涯と信仰の展開を同時代の民衆の生活思想ないし"実践としての宗教"との緊張関係において解明することを意味している。
 第一章においては、親鸞の思想的特徴をなす悪人自覚を要諦とする個人主義(個の主体性)と平等主義とが、法然浄土教の置かれた歴史的状況に由来することが、明らかにされている。
 第一節では、近代日本の親鸞解釈の流れを概括しつつ、親鸞における信仰の論理の意義とその社会的歴史的意義が、思想的質としては個人主義と平等主義に総括されることを、著者は確認している。この思想的質は、近代思想の単なる投影でなく、親鸞の信仰論の中核をなす「機法二種一具の深信(じんしん)」論に根拠を持つものである。しかしこの確認は、一面では個人主義と平等主義が近代市民社会を基礎として成立するという歴史学の「常識」と矛盾するし、他方では、親鸞思想の「(超歴史的)普遍性」と見えるものを著者の構想する「歴史に埋め込まれた親鸞」の視角からどのように説明できるかという課題を突きつけるものであった。これに対して著者は、親鸞思想の超歴史的普遍性と見えるものは実体としては存在しえず、「近現代にも共鳴され共振するターム・命題に置き換え可能な思想が親鸞にあった」にすぎないこと、この意味で思想の普遍性とは「歴史的普遍性」(同一の観念・概念の使用による共鳴・共振性)としてのみ存在すると主張している。
 第三節では、親鸞に先行する法然浄土教の歴史的位置が、『興福寺奏状』等により法然教団弾圧の歴史的理由の宗教内在的分析に基づいて検討されている。その結果、従来の宗教哲学ないし日本仏教思想論においては、法然浄土教に独自の教説とされてきた易行(念仏)往生論・悪人往生論などはむしろ、天台・真言など中世の正統派浄土教の提唱した教義であり、法然浄土教の固有の意義は、諸行往生論を否定して専修念仏論(諸仏崇拝・神祇信仰の宗教的否定)を提起した異端派である点にあることが明らかにされている。これにより著者は、個人主義・平等主義を核心とする親鸞の思想的「普遍性」とその歴史的内実の解明は、顕密体制と呼ばれる正統派仏教の影響下にあった中世民衆の浄土教信仰のあり方と法然浄土教との矛盾の解決過程からなされるべきことを展望している。
 以上の方法論的分析を踏まえ、著者は、民衆世界の浄土教思想とその生活世界的基礎の分析に移る(第二、三、四章)。
 まず第二章においては、正統派浄土教の民衆世界への普及の具体的様相を、中世説話の頂点をなすといわれる『沙石集』の分析を通して析出することを試みている。無住(1226-1312)の書いた『沙石集』(1278-1283)は、同時代の民衆世界における浄土教信仰の実態を映しだす鏡の役割を果たしている。正統派浄土教と異端派浄土教のイデオロギー的対立構造は基本的には中世を通して存在したが、『沙石集』は、異端派との緊張関係の中での正統派浄土教の民衆布教の実態を活写しており、中世正統派仏教の民衆布教の「聖典」として扱われてきた。本章において『沙石集』所収の諸説話にこめられた思想が、『興福寺奏状』等に代表される正統派仏教の思想=諸行往生論と符合していること、因果応報論をテコとする諸仏・神祇信仰による「現当二益」論として浄土教・念仏往生論が民衆の現世的生活欲求に深く根差し、勧善懲悪の"道理"と共に定着している具体的様相が明らかにされている。
 第三章では、正統派による浄土教信仰が民衆世界へ浸透してゆく中で、異端的な法然浄土教がいかに民衆に受容されたのかを、二人の民衆的な下層武士の信仰のあり方を「物語的再構成」の方法によって再構成しつつ検討している。
 第一節で著者は、史料的制約から歴史学ではほとんど検討されてこなかった津戸三郎(尊願)を取り上げ、二次史料と伝承等を援用してそのライフヒストリーを物語的に再構成した。これによって物語的再構成の方法による民衆生活思想の析出の具体例を示すとともに、開発小領主としての東国武士にとって浄土教信仰が"自己確証"の意義を持つ反面、まさにそれゆえに法然浄土教の専修念仏論が内包する神祇信仰の宗教的否定が"躓きの石"ともなる点を明らかにした。
 第二節では、同じく物語的に再構成した熊谷直実(蓮生)像に依拠しつつ、彼の思想・信仰が東国武士(鎌倉幕府草創期の下級御家人・開発小領主)の生活思想の理念型としての意義をもつという視点から、民衆にとって法然浄土教の持った固有の意義と両者の乖離点が考察されている。その要点は、東国武士の自立と平等の精神が法然浄土教固有の平等往生論の受容基盤であった反面、同じ精神構造が諸行往生論(諸仏・神祇崇拝)に傾斜し法然浄土教から逸脱する基礎ともなった点にある。
 第四章では、都市民衆および農民層の浄土教受容の実態をかれらの生活思想の視点から浮き彫りにし、社会的基盤との連関を踏まえつつ浄土教の果たした社会的機能の面から、浄土教の思想史的意義が明らかにされている。
 第一節では、民衆の悪人意識が浄土教受容の精神的前提であるという日本思想史の通説は不正確であり、都市民衆や農民の悪人意識はむしろ浄土教の受容とともに成立したことが主張される。そして民衆が悪人意識を受容した歴史的背景として、糞尿と衛生問題・施肥技術問題から照射される都市民衆・農民の生活空間の恒常的な臭穢空間化と、諸個人の穢れの一時性から恒常性・全面性への転化(禊ぎ不可能な"穢身"化)が挙げられ、伝統的な穢れ観念が仏教的な悪の観念と結合してゆく経緯が詳論される。
 第二節では、仏教的倫理規範の典型である不殺生戒が浄土教とともに民衆の中に浸透する実態が農民層の生活世界に即して検討されている。浄土教の浸透過程で、天台本覚論の「山川草木悉有仏性」の論理が受容され、不殺生戒の対象が植物・虫・土地へと拡大し、生命一般へと普遍化されることにより、農民層の悪人意識受容が、耕作・山林開発という固有の生業自体に由来していることが明らかにされる。しかし同時に、一方では正統派の掲げる仏国土形成論、他方では異端派の造悪無碍論によって、開発・農業・漁猟が正当化され、上記の不殺生規範が空洞化される経緯も明らかにされ、浄土教思想が「原理不在」の思想的伝統の民衆生活的基盤をなすことが示唆されている。
 本論文の最後の3章において著者は、浄土教信仰を支えた上記の民衆生活思想が、民衆救済(ないし民衆本位主義)の立場からいかに理論化され、頂点的思想へと彫琢されるかという問題を、異端派浄土教の体系的展開の二方向(一遍と親鸞)として検討している。
 第5章では、従来思想家としては無視されてきた一遍の浄土教が思想史的に再評価され、一遍浄土教が、専修念仏論の教義的展開過程における、民衆に実際に受容されていた浄土教の"直接的理論化"という性格をもつことが主張される。一遍においては、従来の宗教哲学または日本仏教思想論における親鸞論が、自明のごとく、親鸞固有の教説と見なしてきた専修念仏=易行の究極的徹底化、阿弥陀仏の絶対的超越化・名号本尊論、底辺的民衆の救済論・悪人正機説・平等往生論などが、むしろ親鸞以上に徹底して主張されている。と同時に、一遍が諸仏・神祇信仰と融合する専修念仏論とヒエラルキー的往生論を説く点において、親鸞浄土教とは決定的に異なっている。その理由は、一遍における民衆性の不徹底や体系的理論の欠如にあるのでなく、むしろ民衆生活レベルで実際に受容されていた浄土教思想に一遍が直接的に応答したことの結果であり、その意味で一遍浄土教はそれ自身、天台本覚論を根底とする法然浄土教(専修念仏論)の教義的展開の一方の極に位置している。
 第6章において著者は、正統派浄土教の悪人正機説および一遍浄土教の善悪平等往生論と対比させつつ、親鸞浄土教の固有性を悪人正因説と規定し、その核心が悪人の自己悲嘆的自覚と諸仏・神祇信仰の宗教的否定の徹底にあることを明らかにした。親鸞の悪人正因説は、(1)親鸞が自分自身の生と信仰を内省する営み、(2)同時代の社会的現実(農民等の生活の悲惨さと身分的抑圧関係)を直視すること、(3)専修念仏論の理論化・体系化を徹底させること、以上三つの次元における営為が三位一体となって相互媒介的に深化してゆき、親鸞の最晩年に至るまで彫琢され、先鋭化されていった。
 著者は、親鸞自身の自覚の深化過程を、従来の親鸞研究においては十分区別されて論じられなかった壮年期の「禿の自称」と晩年の「愚禿の自称」の位相の違いを解明することによって浮き彫りにし、親鸞の非僧非俗論の解釈に一石を投じている。
 そこでは専修念仏論ゆえの弾圧流罪の経験が正統派浄土教・諸行往生論との対決を親鸞の信仰論の骨格として沈潜させたこと、しかし流罪以後自己を農民等と同一化して起居をともにした経験を持ったことが、一面では、それまでの専修念仏論の観念性、高踏性を自己批判する契機となるとともに、他面では、農民等の生の悲惨さゆえに諸行往生論へ傾斜してゆかざるをえない自己を批判する契機ともなったこと、このことが逆に専修念仏論の一層の先鋭化をもたらし、それが再び自己悲嘆的反省を生むという、信仰・社会的生・教義の三位一体をなす相互媒介的深化構造が、明らかにされる。
 この信仰の深化構造の中で親鸞の悪人概念は、倫理的悪人概念から末法論を媒介とする普遍的悪人概念へ、さらに末世の真実たる弥陀の本願への背反を内実とする実存的悪人概念へと劇的に展開していった。この展開が、正統派浄土教の下での寺院・支配階層と農民等被抑圧階層の宗教的価値関係を転倒させて、専修念仏論を「逆階層往生論」に転化するとともに、実存的な称名念仏論によって造悪無碍論に堕することを回避させて、本願下での絶対平等論を軸とする主体的な永久理想的共同体論へ展開させたのだと、著者は解釈する。こうして親鸞浄土教は、法然浄土教=専修念仏論の民衆的展開の"批判的思想化"と位置づけられる。
 終章において著者は、第2章から第6章までの検討全体の総括として、中世浄土教思想および民衆の生活思想にとって法然・親鸞浄土教の持った思想的意義と限界を検討している。その際著者は、日本的自然主義の思想的源流として注目されている「自然法爾」観念を取り上げ、自然観の検討を通して、法然・親鸞浄土教が異端派に止まった歴史的理由を考察している。
 親鸞の他力往生論は、正統派浄土教の「自然法爾」論の批判として展開され、自力否定を専ら往生の形而上的根拠としての阿弥陀仏の絶対化に限局した点に固有の意義がある。他方、世俗的関係または対象的自然との関係の位相では、正統派が本覚論を背景として山野河海に顕現する神仏への服従を説くのに対し、親鸞は阿弥陀仏の内面的絶対化によってこれを脱魔術的に否定し、自然物に対する主体的「合理的」振る舞いを正当化する思想を展開した。このことは直接には、専修念仏論の理論化の所産であるが、第2~4章で明らかにしてきた民衆の生業に由来する合理性とも一面では同調していた。だが反面、同じく民衆の生業に由来する神祇信仰志向を否定したことが、親鸞浄土教を民衆から乖離させ、その固有の思想的内実が民衆世界に定着しない根拠にもなっていた。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の意義は、以下の点にある。
 第一に、宗教哲学、日本仏教思想論における親鸞研究と歴史学における親鸞研究とが乖離している現在の学問状況の中で、本論文が、両方の学問的要請に応えつつ、両者を媒介的に架橋することを積極的に試み、この課題を基本的に達成していることの意義は高く評価できる。宗教哲学、日本仏教思想論の立場からする親鸞研究は、しばしば親鸞の思想や教義をそれらの歴史的コンテクストから自立化させて、親鸞の思想の現代思想としての意義を称揚するが、親鸞のテクスト解釈に際して、研究者自身の抱懐する「近代的」思想が投影されることに無自覚であることが多かった。他方で、歴史学による親鸞研究は、中世社会の歴史的コンテクストの中に親鸞浄土教を位置づけ、歴史的親鸞の解明に大きな貢献をなしてきたが、思想が当該社会の中で持った複雑なダイナミズムの解明という点においては、教義の思想構造の内在的理論的検討にまで立ち至っていないため、当該思想の社会的役割やイデオロギー的性格の解明など外面的記述に留まる傾向があった。本論文は、この両部門における研究動向を踏まえつつ、両者の利点を媒介させることによって、親鸞研究を一段高い水準に引き揚げた研究であるといえる。その際著者は、歴史的親鸞の思想を解明するためには、同時代の支配的な仏教諸思想との関係を考察するだけでなく、なによりも浄土教を受容した民衆の生活世界に根ざした思想の解明が不可欠であることを力説する。民衆思想を再現する方法として説話(『沙石集』、『今昔物語』など)、絵巻(『法然上人行状絵図』、『一遍聖絵』など)などを活用する「物語的再構成」の方法を駆使して、著者は、民衆思想との緊張関係において鎌倉時代の浄土教諸教派の教説の持った意義と役割を解明している。この点も、本論文の意義である。
 第二に、本論文が、顕密体制と呼ばれる正統派仏教の布教する浄土教との対抗関係において法然、親鸞、一遍らの異端派浄土教が成立し、分岐してゆく様を、教説とその社会階層的担い手の両面から詳細に解明し、鎌倉期における浄土教をめぐる複雑な全体的構図を記述していることも、本論文の意義である。
 第三に、著者が、鎌倉期の民衆が悪人と自己規定する観念を受容するに至ったのはなぜかと問い、その理由を社会諸階層(下級武士、都市下層民衆、農民、非人など)ごとにかれらの日常的生活世界の様態に即して考察していることも、本論文の魅力の一つといえる。著者は、例えば、当時施肥技術が普及し始め「臭穢空間」が広範に形成されたこと、また農地開発によって神祇信仰の対象であった聖域が広範に侵犯されていったことなどが、悪人意識の形成の背景をなすことなど、興味深い事例を紹介している。
 最後に、著者が、序章と第一章で考察しているように、1920年代以来、日本において唯物論と宗教との論争が連綿と継続されてきた。親鸞解釈を巡る三木清と服部之総との論争、哲学的な宗教研究と歴史学的なそれとの乖離など、本論文において方法論的に考察された諸論点は、それ自体、80年余の長い歴史を持っている。本論文における著者の立場は、認識論主義の立場から宗教を「非真理」と断定してきた従来の唯物論の立場を批判しつつ、宗教が人間の生の意味づけに係わって実践的に求められる(「生活の術としての宗教」)ことを承認する新しい唯物論的宗教理解を提唱することによって、唯物論と宗教との対話と理解を積極的に推進することを志向するものである。その意味で本論文は、唯物論と宗教を巡る論争的伝統の今日における一つの結晶としての意義を持っている。
 本論文は、以上のような意義を持つ重厚な研究といえるが、しかし、次のような問題点も存在する。
 第一に、著者は、宗教思想を対象とする哲学的研究と歴史学的研究との乖離を克服することを志向した。この課題は本論文においてかなりの程度達成されているとはいえ、方法論的にも、また具体的対象研究においても、さらに克服すべき課題は少なからずあり、この意味で両者の空隙はなお残されていると言える。
 第二に、著者は、頂点的思想における教義的内実の展開と同時代の民衆思想の動向とを媒介するものを一つの歴史的存在としての思想家自身の人間としての形成過程に求めている。親鸞の思想の発展過程において農民と起居をともにした経験の重要さを強調する著者の立場を徹底するならば、親鸞その人の生涯に即して思想形成過程を詳述する作業が不可欠であるが、この仕事は将来の課題として残されている。
 第三に、著者は、鎌倉期における民衆の生活世界の記述または「物語的再構成」にあたって、現代歴史学の達成した諸研究を広範に摂取し、それを駆使して説得的な記述を展開しており、それはそれで本論文の長所でもあるが、他方でこのことは、歴史学的考察の部分における著者の独創性が乏しいという弱点にもなっている。もちろん本論文においては評価の第三に挙げた悪人観念の受容と「臭穢空間」の拡大との関連の指摘など、著者の独創的な考察が存在することは認めなければならないが、歴史学と哲学・日本仏教思想論との媒介的統一を志向する著者であれば、歴史学的にも独創的な研究をさらに打ち出してほしいと思う。
 第四に、著者は、近代人の宗教意識を鎌倉仏教に投影して宗教の「超歴史的普遍性」を称揚してきた近代の宗教(史)理解を批判する立場を自覚的に打ち出しているが、各論を展開する際には、例えば、宗教思想史の発展を捉える軸として「人間の主体性の位置づけ(または神の人間化)と思想の合理化・脱魔術化」(286ページ)を挙げるなど、著者自身が近代主義的宗教史理解を暗黙の前提としていると思われる記述が散見される。本論文の方法論を首尾一貫させるために、記述の揺れを克服する必要があろう。
 とはいえ以上指摘した問題点は、基本的に将来の研究の課題として著者に期待する所を述べたものであり、上述した本論文の意義をいささかも損ねるものではない。著者自身も、これらの問題点については十分自覚しており、今後の研究においてこれらの要請に応える成果を挙げるべく努力しつつある。
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと認め、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2004年10月13日

2004年7月23日、学位論文提出者亀山純生氏の試験及び学力認定を行った。
試験においては、提出論文「中世民衆思想と法然浄土教―歴史に埋め込まれた親鸞像への視座―」に基づき、審査員から逐一疑問点について説明を求めたのに対し、亀山純生氏はいずれも十分な説明を与えた。
また、本学学位規程第4条3項に定める外国語及び専攻学術に関する学力認定においても、亀山純生氏は十分な学力を持つことを立証した。
以上により、審査員一同は亀山純生氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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