読売新聞 (大阪 朝刊)1994年5月7日
論点:外国人治療「違い」を尊重

 外国で病気になったとき、どれほどの不安に陥るか経験したことのある人は少なくないだろう。

 病院はどこにあるのか、症状をわかってもらえるか、薬は日本人の身体に合うか、費用はどれ位かかるか、長く寝込んだら誰が面倒を見てくれるか、と心配は限りない。しくしく痛むおなかを抑えながら、「しくしく」って現地の言葉でどう言うんだろうと悩むのは、とてもつらい話だ。

 在日外国人が安心して医療を受けられるよう医療に関する情報を電話で提供するセンターを関西で開設し、4ヵ月余りになる。母体となるAMDA(アジア医師連絡協議会)は、私も昨年参加したソマリア難民医療援助計画など海外医療協力を行う国際NGO(非政府間機関)だ。国内の外国人増加に伴い、3年前より東京で外国人への医療相談業務を行っている。関西ではボランティアの支援によって11か国語で対応し、既に相談が200件を越え、ボランティアの希望、自治体など関連機関からの問い合わせ、医療機関からの協力の申し出も多い。相談はアジアの人が最も多く、中南米、北米出身の人の相談がそれにつぐ。

 外国人の医療に関する問題としては、言葉、文化風習、費用が主に挙げられるが、相談内容を詳しく聞くと、外国人医療の問題というよりも、日本の医療そのものの問題だと感じることが多い。

 まず言葉の問題といっても、単純に話が通じないというより、医師が病状や薬の説明をしてくれず不安だ、症状がよくならないのに同じ治療が続く、医師が見下しているようで信頼できない、といった、コミュニケーション不足からくるものが多い。

 日本でもようやくインフォームドコンセントという言葉が普及してきたが、患者への説明はまだまだ不十分だ。権威的な態度をとる医師も多く、同じ不満は日本人の患者も感じている。日ごろ差別や偏見をうけやすい立場にいる外国人は、その上に言葉の壁が加わり、ささいなことで不信感を募らせ誤解が大きくなりやすい。

 次に、文化や風習の問題である。健康や病気は万国共通と思われがちだが、生や死、性、苦痛等、人間の営みの基本的な部分に触れる行為である医療は必然的に文化的な色彩を帯びる。確かに、結核もエイズも心臓病も民族を選んだりはしない。でも、それらが社会において持つ象徴的意味や人々の対処法は時と場所により多様だ。

 医療人類学では、生物学的な変化を「疾病」、社会的対応や影響を含めたものを「病(やまい)」と呼んで区別するが、今の医療は「疾病」のみを重視し、外国人の持ち込む「病」にうまく対処できないため、医師と患者間のあつれきを生んでいるようだ。

 勝手に病名を決め、治療法を指定したり、細々と注文をつける患者を、医療者はつい「わがまま」とみなしがちだ。もちろん、外国人だからどんな要求でも尊重すべきというのではないが、イスラム教信者が豚肉を食べないのが「わがまま」ではないように、自分の「あたり前」を押しつけることの危険性、違いを理解し尊重することの重要さは強調しておきたい。

 第3に費用である。健康保険のない外国人にとっては深刻な問題だ。日本には国民皆保険というよい制度があるが、滞在資格がない外国人や滞在予定が1年未満の場合は国民健康保険には加入できない。社会保険の場合も支払いが年金と抱き合せという非定住外国人にとっての難点もある。

 外国人の多くはローンにしたり、友達から借金をしてでも払う意思をもっているが、自費(保険外)診療の場合、病院によっては通常の2、3倍に料金が設定されていたり、同じ病気でも検査や治療の選択によって診療費はかなり違ってくる。

 こういった点について患者が事前に知識を得られること、医師側も経済的側面を考慮した診療をすることが重要と言えよう。もちろん、重症や緊急で患者に支払能力がない場合に備えて、兵庫県のように医療費補填(ほてん)制度を整えることも必要だろう。

 不法滞在を助長する恐れがあるとの反対意見もあるが、といって今、目の前の病人を見殺しにするのは、許されることではない。外国人自身も来日という自分の選択に責任を持つことは必要だ。しかし命の重さは国籍とは無関係であり、医療が社会管理の手段に用いられるべきではないと思う。

 言葉や習慣、社会の仕組みや人間関係のあり方の全く異なる国で生活をするのは容易ではない。相談の中には外国人の抱える精神的な問題が感じられることも多い。偏見や蔑視(べっし)、将来への不安、家族との離別生活、孤独などに耐える彼らに、日本社会はあまり優しくないようだ。

 我々の活動が、少しでも彼らに安心感を与え、日本人が隣の外国人に、ほんの少しずつ優しくなるきっかけを提供できればと期待している。また、私は現在、教育研究機関の一員でもあり、これから医師や看護婦になる人たちが、日本人にまじって自然に外国人の患者を診ていけるようにも、微力を注ぎたい。


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