リレーエッセイ 国際協力の現場から(7)
感受性抜きの援助は「再被害」へ (外交フォーラム 1997年8月)

「さわるな!」

「さわってへんわい。」

「それやったら、何でこんなとこに手あるねん!」

「・・・・・」

「さわられても黙ってるかわいい女子高生ばっかりやと思っとったら、大間違いやねんぞ!」

 朝8時過ぎの大阪地下鉄御堂筋線は、いつものとおりすし詰め状態。満員電車というのは、考えてみると奇妙なことだが、みんなおし黙っていて、とても静かだ。その中に、突如大きな声が響いた。ばつの悪そうな30代の男の顔が私から見えたが、その女子高生の姿は見えなかった。短い言い争いの後、また車内を沈黙が支配した。誰も何もいわなかった。誰も何もしなかった。

 ただ、聞いた言葉が、それぞれの人の頭の中で反響しているようだった。次の乗り換え駅でその男を含め、たくさんの乗客が降り、車内にできた空間にほっとした息が流れ、緊張が解けていった。次の瞬間、新たな乗客のかたまりが車内になだれ込み、さっきの会話をもはや共有しない集団を乗せて、地下鉄はまた走り出した。

女性の主体性をそぐシステム

 ある大学の医学部の国際保健のコースで「開発途上国の女性の健康」という講義をしたことを、5月号で書いた。多くの国で、女児が選択的に中絶されたり、出産後殺されたり、十分な食事が与えられなかったり、病気になっても病院に連れていってもらえなかったりする現状があること、女性への身近な男性からの暴力や、性的暴力が深刻であること、女性や子どもの健康を守るには、女性が性と生殖に関して自分で決定する権利 / 健康(リプロダクティブ・ライツ / ヘルス)が尊重される必要があることなどを話したのだが、講義の後に書いてもらった感想に、ある女子学生の「なぜ、女性差別はなくならないのですか。女性が子を育んでいくはずです。」という鋭い問いがあった。

 教育や雇用などでの差別が、男女の能力差を維持・拡大し、差別を温存するサイクルを作っているといったことは授業でも少し触れた。しかし彼女の言うとおり、今の状態がいやなら「いやだ」と声を上げ、自分の子どもにはそうしないように教えれば、たしかに状況は変わってくるはずである。なぜ、いやだと言えないのか。なぜ、子どもには新しい生き方を教えられないのか。なぜ、自分の苦しみを自分の娘にも味わわせてしまうのか。

 満員電車の中の、女子高生の一言の効果はとても大きかった。痴漢をしていたその男性は今後常習行為を躊躇するだろうし、周りの男性たちも出来心を抑えるだろう。そして、女性達は、痴漢の被害を受けたら声を上げてもいいという新しい常識を目の当たりにした。黙っているから痴漢をしていいということには決してならないが、もし、痴漢をされた女性がみんな声をあげていたら、とっくの昔に痴漢は激減していたに違いない。けれども、女性は声を出せずにきた。私自身も経験がある。「痴漢!」と一声叫ぶこと、それができなかった。

 世の中には、女性の主体性をそぎ、声を出しにくくする見えないシステムがある。「女らしさ」の呪縛や、男女で異なる道徳規範、現実にふるわれる暴力の可能性が、網の目のように女性の行動を制限する。それらは、女性の内面にも巣くい、おどおどした態度や言葉遣いしかできない身体を作る。冒頭の女子高生の言葉使いをはしたない、下品だと思われた方もいるかも知れない。けれど、彼女がそれ以外の言葉を使うのは不可能だったこと、女らしい言葉では彼女の悔しさや怒りは表現され得なかったことは理解される必要がある。「お願い、やめて」と優しく言ったら、痴漢はよけいつけあがるのではないだろうか。はしたないのは彼女でなく、男のした行為である。耐える美しさでなく怒りをストレートに出す美しさも女性にはある。

ジェンダーの問題−後進国の日本 

 国際協力の分野で、女性のエンパワーメントが今キーワードになっている。「開発の中の女性」「開発の中のジェンダー」という用語も生まれ、ジェンダーへの感受性抜きに人口問題や保健問題が解決できないことも共通理解になってきている。エンパワーメントとは、まさに女性が身体の内側から湧き出る力を持ち、自分に誇りを感じ、自信を持って、自分の思いを声に出せることである。

 日本は残念ながら、ジェンダーの問題に関しては後進国である。たしかに、男女の人口比や女性の平均寿命では遜色がなくても、わざわざ、地下鉄に「痴漢は犯罪です」のポスターを貼らなくてはいけないくらい、この国は、女性の身体や性をめぐる権利に鈍感なままで来た。私は、せめて、そういう日本の常識が日本の産業技術や組織運営方式と一緒に輸出されないことを願う。買春ツアーやじゃぱゆきさんの問題は言うまでもない。

 そして、国際協力の場では、相手の沈黙をイエスと理解する前に、沈黙の意味を考える賢さを皆が持っていてほしいと思う。声を上げにくい状況を作っておいてイエスを無理矢理取りつけることは、男女の間だけでなく、援助者・被援助者の間でもとても多いと思うからだ。同時に、声を上げた人の勇気を讃えることは重要だが、声を上げない人の事情も考えず「声を上げないからだめなのよ」「声を上げなさい」というのは許されないことだと思う。

 日本の中で、女性の性と生殖の権利への感受性を人々が育てることは、とても大切な「国際協力」「人間開発」である。旧ユーゴでの組織的レイプの例を挙げるまでもなく、国際紛争などでもこれらの感受性抜きで対応すると「援助」は「再外傷」「再被害」を与えることにしかならない。


Copyright 宮地尚子 1997