リレーエッセイ 国際協力の現場から(1)
「助けられる人たち」は無力ではない(『外交フォーラム』 1997年1月)

 今回、女性3人で順繰りに、「国際協力の現場から」というテーマでエッセイを連載することになった。そのトップバッターが、どういうわけか産休中の私に回ってきた。

 産休の間は暇だと思われているんだろうか、と思わず邪推する。生後1ヶ月の赤ん坊の世話は、授乳のために夜、何度も起こされることを除けば、まあどうにかなる。問題は、1歳3カ月になる上の娘だ。危険も知らずにその辺を走り回り、高いところに上っては、転んでわあわあ泣く。気がつくと食卓から醤油差しが消え、畳に真っ黒な水たまりができていたりもする。目いっぱい家事や育児に参加してくれるアメリカ人の夫と、しょっちゅう手伝いに来てくれている母のおかげで、私は気が狂わずにいるようなもんだ。

 というわけで、なんか育児日記のノリで始まってしまった。

 正直なところ、今の私の置かれている状況は、国際協力の現場からもっとも遠いところにある。まあ、でも、遠くにいるからよく見えてくることもあるかもしれない。生々しい現場の雰囲気は、後のお二人にお任せするとして、ここは、ゆったりと「国際協力」なるものを考えてみよう。

私とAMDAのこと

 私の国際協力とのつながりは、主にAMDAというNGOの活動を通してである。

 AMDA(アムダと発音する)とはアジア医師連絡協議会(Association of Medical Doctors for Asia)の略称で、保健医療を専門とする、国連の経済社会理事会にも承認された多国籍NGOである。アジア15か国に支部があり、「すぐれた医療でよりよい未来を世界に」をスローガンに、ネパール、カンボジアなど、主にアジアで難民や災害被災民への医療援助プロジェクトをおこなってきたが、その後ソマリアやルワンダ、旧ユーゴなどアジア以外にも活動が広がっている。近いところでは、阪神・淡路大震災やサハリンの地震の際の緊急医療活動などでご存じの方も多いかもしれない。

 国内では、AMDA国際医療情報センターを東京と大阪に設置し、日本在住外国人が安心して医療を受けられるよう、情報提供や電話相談などの活動を行っている。関西のセンターの方は私が代表をしているのだが、その活動については、また次の機会に詳しく説明しよう。

 私自身の海外での活動としては、1993年に参加したジブチのソマリア難民キャンプでの保健医療援助活動がある。その後は、職場の状況や、最初に述べた私的な事情もあって、国内での活動にとどめているが、早く、子どもの手を引きながらでもいいから、また現地の人と一緒に汗を流せる海外プロジェクトに参加したいなと、血だけは騒いでいる。

専門家ほど陥りやすい罠

 さて、国際医療協力というと、災害や内戦などで飢えや病気に苦しんでいる人たちのところに飛び込んでいって命を救う医師のイメージを持つ人が多いのではないだろうか。テレビでもよくそういった映像がうつされるし、そういう姿にあこがれて海外に飛び出す医師も確かに多い。いわゆるレスキュー・ファンタジーである。けれど、実際に国際医療協力に関わってみて痛感するのは、このレスキュー・ファンタジーほど危ないものはないということである。

 現実に、医師さえいればどうにかなる状況などほとんどない。緊急医療援助であっても、必要な薬品や機材がなければ手も足も出ないし、ロジスティックスや関係機関との交渉などに長けたスタッフや現地協力者がいなければ、現場まで到着することさえ容易ではない。肺炎の子供に抗生物質を注射することはできても、雨風をしのげる住まいや毛布、栄養のある食事がなければ、また1週間後に同じ症状の子供を見るだけだ。ましてや、長期の地域医療向上のためのプロジェクトなどになると、レスキュー・ファンタジーにかられた医師は、ほとんど害しか及ぼさない。

 人を救いたいという思いは崇高なものに違いない。人に必要とされること、役に立つこと、そして感謝されることは、国際協力に携わる人間の大きな原動力になる。けれど、結局、その人を救うのはその人なのだ、という一種醒めた意識がなければ、国際協力は恐ろしい権力の行使になってしまう。また、目に見える効果や感謝を期待してばかりいると、独りよがりの活動に終わってしまう。もちろん、これは医療の分野に限らないが、特に、医師のように特殊な知識、技術をもつ「専門家」ほど、この罠に陥りやすいように思える。

 実は、このことは日頃の医療でも同じだ。医師は、患者の病気を治すのではなく、患者自身が病気を克服するのを援助するだけなのだ。「助けられる人たち」は決して無力ではない。

 おっと、子供が泣きだした。子供も親が育てるのではない、子供が育つのを、親はそばで見守るだけなのだ。などと考えつつ、でも、赤ちゃんって自分のおむつはまだ替えられないので、私が行くしかない。ということで、今回はここで筆を置きましょう。次はバリバリの国際的な現場報告をお願いします。

 ちなみに、産休の8週間はあっという間に終わり、また明日から仕事と育児で寝不足気味の日が続きそうです。


Copyright 宮地尚子 1997